ころではよく御馳走になった。お二人とも酒がお好きで、私も酒が飲めるということが分ると、訪ねて行けばきまって酒が出るようになった。そうした座談の間に私は教室でよりも遙かに多く学ぶことができたのである。
 波多野先生からはギリシア古典に対する熱を吹きこまれ、深田先生からは芸術のみでなく一般に文化とか教養とかいうものの意味を教えられた。この二つの影響のほかに、第三のものとして特に記すべきものは坂口先生から受けた影響である。先生の『世界におけるギリシア文明の潮流』という書物を初めて読んだときの感激を今も忘れることができない。私は先生から世界史というものについて目を開かれたのである。当時の京都大学は哲学科の全盛時代であるとともに史学科の全盛時代であった。その後私が歴史哲学を中心として研究を進めるようになったのも、そうした学問的雰囲気の影響である。
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 西田先生から最も深い感化を蒙ったことは今さら記すまでもないであろう。あのころ先生は『自覚における直観と反省』を書いておられ、初めは『芸文』に、やがて創刊された『哲学研究』に、毎月発表されていた。先生の勉強ぶりは学生にもひしひしと感ぜられ、毎朝先生のお宅の前を通って学校へ行っていた私は、二階の戸がまだ閉まっているのを見て、昨夜も先生はおそくまで勉強されたのだな、とよく森川礼二郎と話し合ったものである。
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 卒業論文を準備していた秋の終わりに、私には一つの事件が起った。ある夜京都駅に有島武郎氏を見送っての帰り、小田秀人と議論しながら本願寺の前を歩いていた私は自動車にひかれたのである。危くひき殺されるところを全くの幸運で、左の肩の骨折ですんだが、一か月あまり入院した。そして『批判哲学と歴史哲学』という論文を出して卒業した。二十四歳のことである。
 そのとし大正九年は、世界恐慌が日本をも見舞った年である。平和なりし青春は終って私の一生にも変化の多い時期が来つつあった。わが青春はほんとにはその時から始まったのであるといった方が適切であるかも知れない。
[#地付き](『読書と人生』一九四二年六月号)



底本:「現代日本思想大系 33」筑摩書房
   1966(昭和41)年5月30日初版発行
   1975(昭和50)年5月30日初版第14刷
初出:「読書と人生」小山書店
   1942(昭和17)年6月初版発
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