何かの仕事をくれるだらう。その方が、あんな坊主に断られるよりはましだ、と考へてゐた。だが、もう、何うする事もできなくなつてゐた。その時に、相馬御風氏から一つの仕事が、田中純を通じて、持込まれた。これが、六十円だ。
(三|月《つき》食へる)
「戦争と平和」を、二百枚に縮めろといふ仕事だ。訳の出てゐない時分だ。死物狂ひに英訳を読んだ。書いた。三月経つた。保高が、
「妻君になら口があるんだが」
 と、云つてきてくれた。生れて三月目の赤ん坊がゐる。だが、女が働くより法が無い。今なら、女給などゝいふのがあるし、女房は美人だつたから、少々齢をとつてゐても、勤まつたゞらうが――その口は、読売新聞に新設される婦人欄の外務記者で、月給十八円、手当五円、電車のパス月に二冊。僕は、女を働かせて、子守りである。
 飯を焚くし、ミルクを作るし、夕方の菜《さい》から、悉《こと/″\》く僕だ。三四月からだつたゞらう。僕が、胡座《あぐら》をかいて子供を、脚の間へ入れると、丁度、股が枕になつて、すつぽり、子供の身体が入る。これを上下へ動かすと、子供はよく眠る。(この子供が十七になつて文化学院へ行つてゐる)そろそろ暑くなると、家にをられないので、風呂屋へ行つて、三時間位、かうして子守りをしてゐる。この期間八ヶ月つゞいた。八ヶ月目に、女は、
「もう袷《あはせ》が無いと、いくら何んでも、働けない」
 と、云つた。これまでと夏の間に、さういふ金目の物は、皆無くなつてゐるのである。十月にかゝらうとするのに、女は単衣物《ひとへもの》で、訪問して歩いてゐたのだ。僕は言下に、
「よせ」
 と、云つた。そして、大日本薬剤師会の書記になつた。それから、当時「わんや」にゐた神田|豊穂《とよほ》と知合になつて「わんや」が金を出して「春秋社」を創立した。そして、トルストイ全集を出した。こゝで、第二期の貧乏が暫《しばら》く、名残りを惜しみつゝ、別れて行つたのである。

 第三期
「人間社」をやつた。久米、田中、里見、吉井が同人《どうにん》である。高利貸から、金が借りられるまでになつてゐた。高利貸なんて、便利なものだから、ちよい/\、利用してゐると、強制執行が、時々きた。
 この時分、人間に第六感のある事を信じるやうになつた。それは、借金取の電話のかゝつてくる前になると、きつと、眼ざめるのである。
(いけない。電話だぞ)
 と、
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