と、時々、人が云ふが、僕の手に入らん内に、半分消える稿料があるし、三分の一は、人が持つて行くし、貯金としては、金八百円ある切りだ。
文士家業なんてものは、大抵、十年が寿命だ。少しは、ためておかんと、困るだらう、と、さういふ考へ方を僕はしない。食へなくなつたら困るから、僕は、勉強をする。一昨年僕は「××社」と絶交して書かなかつた。大衆作家が「××社」と絶交するのは、糧道を断つに等しい。だが貧乏育ちは、そこがいゝ。かまふもんか、貧乏が苦しけりや、勉強していゝ物を書くやうになるだらう、と。それで、一|昨ゝ年《さく/\ねん》より勉強した。将来も、入るだけの金は使つて、貧乏に追はれながら、勉強で打勝つつもりだ。父の魂が、十分に残つてゐる。
子供の事は、かう考へてゐる。一人で食へんやうな奴に、なまじ、家だの、小金だのを残してやる事は、罪悪だと。利子で食へるんだつたら、勿論罪悪だし、家賃はいらないから、百二十円の月給で、これ/\と、女房と二人で、おつかなびつくり世渡りして行くやうな伜《せがれ》なら、何うなつたつていゝ。
今に、プロの世の中になつたら、僕の父の奮闘と、僕の胎内からの奮闘とは、物嗤《ものわら》ひ話になるだらう。然し、僕は、僕が貧乏で無かつたなら、今の僕の根強さと、楽観的とは、生れて来なかつただらうとおもふ。貧乏の無い人生はいゝ人生だが、貧乏をしたつて必ずしも、人間は不幸になるものではない。
底本:「日本の名随筆85 貧」作品社
1989(平成元)年11月25日第1刷発行
1991(平成3)年9月1日第3刷発行
底本の親本:「直木三十五全集 第十五巻」改造社
1935(昭和10)年6月
入力:渡邉 つよし
校正:門田 裕志
2001年9月19日公開
2006年1月9日修正
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