廻り、飛び石を撫で、一尺ごとに、手をのばして、手に触れるものを調べながら、御居間の方へ近づいた。灯の影もなく、人声もなく、ただ、真暗闇の世界であった。

「山一のことが――思い出される」
 益満が囁いた。小太郎は、床下へ入った時に、そのことを思い出していた。
 山一とは、山田一郎右衛門のことであった。高野山に納めてあった島津家久の木像を、高野山の僧侶が床下へ隠して、紛失したと称した事件があった。島津家が、窮乏の極の時、祠堂《しどう》金を与えなかったから僧侶が意地の悪い事をしたのである。それを、肥料《こえ》汲みにまでなって、床下から探し出したのが山田一郎右衛門であった。そして、それだけの功でも、相当であったのに、その褒美を与えようとしたのに際し、山田は
「褒美の代りに減《へ》し児《ご》を禁じてもらいたい」
 と、いった。減し児とは、子供が殖えると困るから、生れるとすぐ殺す習慣をいった言葉である。山田のこの建議によって、幾人、幾十人の英傑が、救われたか知れなかった。益満の如き小身者は、当然、減らされた一人かも知れなかったし、小太郎の後進の下級の若い人々は、大抵減され残しが多かった。だから床
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