った。
「何うするんでえ」
庄吉は、睨みつけた。小太郎は、微笑した。そして、左手の書物を、静かに、懐へ入れて
「さあ、何う致そうかの」
と、答えた。
庄吉も、微笑した。
「江戸は物騒だから、気をつけな」
「不埓《ふらち》者っ」
小太郎の顔に、さっと、血が動いた。
「何っ?」
力任せに引く手首を、ぐっと、内へ折り曲げると共に、庄吉の手首から、頭の中まで、血の管、筋骨を、一時に引きちぎるような痛みが、走った。
(手首が折れる)
と、感じ
(商売が、できなくなる)
と、頭へ閃いた刹那、庄吉は、若僧の小太郎に、恐ろしさを覚え、怯《お》じけ心を感じたが、その瞬間――ぽんと、鈍い、低い音がして、庄吉の顔が、灰土色に変じた。眉が、脣が、歪んだ。
往来の人が、立止まって、二人を眺めていた。庄吉は、自分の住居に近いだけに、自分の仕事を人に見られたくなかったし、弱味を示したくもなかった。
しびれるように痛む手に、左手を添えて、懐へ、素早く入れた。そして、一足退って
「折ったなっ」
「江戸は物騒だ。気をつけい」
小太郎が、嘲笑して
「印籠は、くれてやる」
庄吉は、口惜しさに逆上した。
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