は眼を赤くして、げっそりとやつれていた。眼の色も、干《かわ》いて、悪くなっていた。
 八郎太は、慰めてやりたかった。可哀そうだ、とも思った。こいつの性質として、十分に努力はしただろうと思った。だが、もし、寛之助様の病がよくなったのだとしたら、自分は、どんなに肩身が広く、出世ができるか? と思うと、何んだか、七瀬の背負っている運が、曲っているようで、不快でもあった。
 七瀬は、部屋の中へ入って、後ろ手に襖を閉めた。そして
「お詫びの申し上げようもござりません」
 両手をついて、頭を下げた。
「仕方がない」
 八郎太は、低く、短く、こういったきりであった。
「ただ一つ、不思議な事がござりまして、それを申し上げたく、取急いで、戻って参りました」
 小太郎は、ほっとした。何か、母が、証拠でも握ってくれたのであろう。それならば、それを手柄にして、円満に行けば――と、母の顔を見た。
「どういう?」
「一昨日の夜のことでございます。夢でもなく、うつつでもなく、凄い幻を見ましたが、これが、若君を脅かすらしく、幻が出ますと、急に――」
 八郎太の眼が、険しく、七瀬へ光った。
「たわけっ」
 八郎太は、睨みつけた。
「何を申す、世迷言《よまいごと》を――」
 その声の下から
「御尤《ごもっと》もでござります。お叱りは承知致しております。人様にも、誰にもいえぬ、奇怪な事がござりますゆえ、未だ、一言も申しませぬが、貴下《あなた》へ、せめて――」
「たわけたことを申すなっ」
 八郎太は、七瀬が夢のような事をいい出したので、怒りに顫《ふる》えてきた。常は、こんなではないのに、余り大事の役目で、少しどうかしたのではないか、と思った。
「然し、父上――母様、もう少し詳しく、腑に落ちるようにお話しなされては」
 と、小太郎が取りなした。
「黙れ、そちの知ったことではない」
「然し」
「黙らぬか」
「はい」
 小太郎は立上った。益満を呼ぶより外にないと思った。そして、玄関の次の間に行って、妹の深雪に
「すぐ益満を呼んで――母が戻って来たからと」
 深雪の背を突くようにして、せき立てた。

「――形を、見極めもしませずに、話のできることではござりませぬが、確かに、この眼で見たにちがいござりませぬ。急に、御部屋の中が暗くなりまして――齢の頃なら四十余り、その面影が、牧仲太郎様に、似ておりましたが――」

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