「何っ、当途も無く?――御重役へ届け出でてお許しが出たか」
「いや、その辺、とんと、失念仕って――」
「こやつ、引っ捕えい」
 侍は、一足引いて、浪人達に、顎で指図した。益満は、煙を吹き出しながら
「引捕える? 暫く暫く、一寸、一服して――こうなれば、尋常に――」
 と、いいつつ、大刀の柄へ、煙管を当てた。とんとん二三度叩いて、灰殻を落した。そして、舌の先へ当てて、ぶつぶつと音させて、それから、懐の煙草をつまみ出して
「暫時。今一服」
 と、いって、雁首へつめ込んだ。四人の侍は、黙って見ているの外になかった。益満は、燧石《ひうち》を腰の袋から取出して
「ゆっくり眺めると、いい景色でござるが」
 火をつけて、一口吸って、一人の浪人の顔へ、ぷーっと、煙を吹っかけた。
「何を致す」
「斬る」
 三人の浪人が、この益満の言葉に、一足退いて、刀へ手をかけた瞬間、益満の煙管は、一人の鼻へ当っていたし、一人はよろめいて、顔を押えて、よろめきつつ、走り出した。押えている手から、血が土の上へ洩れていた。
 一人が、躓《つまず》きつつ、後方へ退って、抜いた刀を両手で持ち直す隙もなく、片手で益満の返した刀を止めようとしたが、もう、遅かった。膝頭を十分に斬られて、刀を、草の上へ投げ出して、前へ転がってしまった。
「手向い致すか」
 侍が、絶叫した。
「小手をかざして、御陣原見れば、か。行くぞ、行くぞ」
 益満は、同屋敷の侍を振向きもせず、残りの浪人者に、刀を向けた。浪人者は、煙管に打たれて、鼻血を出しながら、じりじり退りかけた。

 益満は、じりじり浪人を追いつめた。浪人は、蒼白になっていた。益満は、片手で、刀を真一文字に突き出して、道の真中まで出ると、自分の投げつけた煙管を左手に拾い上げた。侍も、浪人も、二人を一瞬に斬った益満の腕と、その態度とに、すっかり圧倒されてしまっていた。頭も、身体も、しびれたように堅くなってしまって、恐怖心だけが、あふれていた。
 益満は、左手の煙管を口へ当てて、舌の先で、ぽっぽっと音させつつ、右手の刀を、浪人の咽喉の見当へ三尺程のところから、ぴたりと当てて
「たって斬ろうと申さん。逃げるなら、逃げるがよい――後方が危い、もっと、左へ、そうそう」
 益満の刀の尖と、浪人の咽喉とが、何かで結ばれているように、ぴたりと膠着していた。益満は、煙管を口にくわえて、刀を
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