。
「それでは、一両日中に、改めて、会合するとして、今日はこれまで――途中、気をつけて」
と、名越が立上ると共に、人々が、一斉に立って、身支度をした。軽輩は、すぐ下へ降りて、蓑笠をつけた。そして、上席の人々は、自分の供を呼んで、提灯をつけさせた。人々が降りると、料亭の主人が、草鞋を持って出て
「この路になりましたからには、高下駄では歩けませぬ。どうか、これを、お召しなすって下さいませ」
と、いった。
「御一同、草鞋にかえて――途中のこともある」
人々は、袴を脱いで、懐中し、供に持たせ、身軽になって、草鞋を履いた。
「何れ、物見に一足先へ」
と、いって、踏み出した一人が――何を見たのか
「待てっ」
と、叫んで、雨の中へ、笠をかなぐり捨てて、走り出した。四五人が、その声に、軒下に出ると――遠くに、足音が小さくなるだけで、何も見えなかった。
「亭主、怪しい奴がうろうろしておらなんだか」
「一向に、見かけませんが――」
「油断がならぬ。一同、御一緒に」
人々は、刀を改めて、帯を締め直した。
「益満に、仙波は、何うした」
と、一人がいって
「益満」
と、二階の二人を呼んだ。益満の落ちついた声で
「少し、仙波殿と相談事があるで、かまわずお先に」
と、いった時、ぴたぴた泥を踏んで
「逃した」
と、呟きつつ、一人が、戻って来た。
「見張らしい。わしの顔を見ると、すぐ、走り出したので、追っかけたが、暗いのでのう」
人々は、心の底から、動揺しかけた。
(何うして、ここを嗅ぎつけたか)
十二三人の同志だけでは、大勢の、上席の人々を対手に、何う争えるか?
(もう、ここまで、手を廻して)
心細さを感じると共に、憎しみを感じたが、その代り、張合が強くなっても来た。
人々の去った静かな――だが、乱雑な、広間で、三人が、火鉢をかこんでいた。女中は、つつましく他の部屋を取片付けながら、小太郎を、ちらっと、眺めては、笑ったり、背をぶち合ったり、していた。
「女中、そっちの女中」
と、益満が呼んだ。
「はい」
と、答えて、微かに、赤らみながら
「お召しで、ござりますか」
女中のついた手を、いきなり、小太郎の手にくっつけて
「どうじゃ、いくらくれる?」
女中も、小太郎も赤くなった。女中が、走り去ると
「とにかく、江戸は、斉興公|贔屓《びいき》が多い。これでは仕事が出来
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