に踏みつぶされる。
 波斯軍には鉄騎隊だとか車隊だとか云う恐ろしいものがある。鉄騎隊と云うのは、全身を鱗のような鋼の小札《こざね》で被っていて、只眼と口を除く外は殆んど不死身と云っていい位に武装した騎士達と、更に太い鎖で互に繋ぎ合って一団となってやって来るのである。車隊は、戦車の車軸や車輪に鋭い鎌を結びつけて、足の細い斑馬《ゼブラ》に索かせて突撃して来るのである。鎌に触れた羅馬兵は、まるで菜の葉の様に刻まれてしまう。こんな恐ろしい武器に対する羅馬軍の攻撃方法、楯隊の防禦戦、皇帝が駱駝《らくだ》に跨がって逃げる様子等、真に当時の残忍なる戦争が活々と描き出されている。
 前述の下層社会の描写に対して、上流社会の生活は、コンスタンチヌス皇帝の髯剃《ひげそり》の一状景を見れば充分であろう。でもう一度、長々しい引用を許して戴きたい。

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 理髪師は丁度神秘の儀式でも行う様な顔付をして居た。両側には、今帝国内で威勢並ぶものなき侍従長のエウセビウスを始めとして、様々の器や、塗料や、手拭や、塩などを捧げた無数の寝所掛りが並んでいた。其外に二人の扇持ちの少年が控えている。彼等は髯剃りの秘法が行われている間じゅう、六つの翼を持った天使の形をした、薄くて幅の広い銀の扇で皇帝を煽ぐのであった。
 理髪師はやっと右の頬を終って、左の方へ取り掛った。そしてアフロヂテの泡と呼ばれている、阿剌比亜《アラビヤ》の香水のはいった石鹸を丁寧に塗りながら、……皇帝の朝の化粧は終りに近づいた。彼は細い刷毛《はけ》を以て、金線細工の小箱から少しばかりの頬紅を取った。それは聖僧の遺骸を収める箱の雛形とも云うべき形をして、蓋には十字架がついていた。コンスタンチウスは信心が深くて、七宝の十字架や基督の頭文字《モノグラム》などが、あらゆる隅々の細々した道具についているのであった。彼の用いる紅は「プルプシマ」と云って紫貝を沸騰させて其の薔薇色の泡を精製した、一種特別の高価な品であった。……紫の間と呼ばれている部屋には、「ペンタビルギオン」という、上に塔の五つ並んでいる風変りの戸棚の中に、皇帝の衣裳が蔵《しま》ってあったが、此の部屋から宦官《かんがん》が皇帝の祭服を運んで来た。それは殆んど折ることの出来ない程ごわごわした、金や宝石で重い様な着物で、その上には羽の生えた獅子や蛇などが紫水晶で刺繍《ぬ》ってあった。……皇帝は大理石の廊下伝いに広間へ趣いた。宮中衛兵《バラチン》達は丈四尺もある長槍を立てて、まるで彫刻の様に粛然と二列に並んで立っていた。式部官が捧げて行く金襴で作ったコンスタンチヌス大帝の旗が、基督の頭文字を輝かせ乍ら、さらさらと鳴った。静粛官は行列の前を走り乍ら、手を振って敬虔なる静寂を命ずるのであった。
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 その他、|半獅半鷲の怪獣《グリフォン》の飾りのある神殿だとか、有名な浴場だとかの描写は何れも微細に亙っている。又、貴族の子弟がストイック主義に基いて教育せられ、固い寝床に寝せられる習慣、現代の人ほど裸体になることを恥としていない羅馬人の風俗等々、当時の生活状態は再び活々と浮び出される。
 作者メレヂコフスキイが、かくの如く当時の空気を彷彿せしめることを得たのは、一つには彼が南欧地方を巡遊したと云う経験を持っていたと云うことにもよるであろうが彼の学究的態度なり、その深奥な考証的知識なりは実に感嘆すべきものである。メレヂコフスキイを以て、二十世紀の歴史小説の大家とする所以も亦、ここにある。メレヂコフスキイは哲学者であり、宗教家である。又、詩人としての感情も、小説家としての立派な能力も持っているけれども、一八九五年に古代羅馬を描き出すには、それ等のものだけでは不充分である。歴史小説としての「神々の死」を不朽ならしめたものは、実に彼の歴史科学の、正確なる知識である。(上述、「神々の死」からの引用文は、何れも米川正夫訳、新潮社出版――大正十年――の邦訳によったのである)
 素より、歴史小説は、芸術的な小説であって、断じて、教科書風な、無味乾燥の記述ではない。けれども史実を無視した歴史小説はどんなにか読者に馬鹿馬鹿しさを与えることだろう。極端な例を採れば、若しも近藤勇が忠実なる勤王の武士であって、蛤御門の戦に討死すると云った風の小説が書かれたとしたら、どうだろう。読者は必ずや失望するだろう。芝居の場合なら観客は沸く[#「沸く」に傍点]に相違ない。こんな簡単な、周知の事実の場合には直ぐに気がつくが、多くの似而非《えせ》歴史小説は、大なり小なり、此のたぐいであることは、容易にわかるものではない。稍もすれば、大衆文芸が軽蔑されるのは、こんな荒唐無稽が禍いするのではないか。
 文学を志す者は、須《すべから》く従来の、伝統的な悪風を捨てて、「天才」の表面的模倣に暇を潰すよりも、科学を研究すべきである。歴史小説を書く者は、小説家であると同時に史家でなければならぬ。
 やがて、我国に於ても、真の歴史小説が生れるであろう。前記真山青果の維新物等には、そのよき意図が現れている。
 例えば、「颶風時代」の第三幕に於ては、文久二年十二月十三日の品川宿遊女屋土蔵相模に於ける、伊藤俊輔と志道《しじ》聞多との会話、焼弾陰謀の相談等、実際にあり得べきことである。殊に風俗の点に関しては正鵠を得ている。「土蔵相模はその頃品川第一の妓楼という程ならねど、勤王有志殊に長州志士等の遊興せる家なり。位置は宿の中宿にありて江戸よりゆけば右側にあり」等は歴史的地理的考証を持つに非れば明言し得ざるところである。
 こういう事に就ての知識は、現在|纏《まと》められた書物が無く作家独自の研究によらねばならない。巷間民間の歴史に就て、日本の史学者の値は零《ゼロ》である。極く初歩の参考書を云うと、服装、風俗では、「歴世服飾考」「貞丈雑記」「近世風俗類聚」など、食物は、宇都宮黒滝氏の「日本食物史」、旅行は、鉄道省の「日本旅行記」吉田十三氏の同名の書。戦争に関しては、参謀本部の「日本戦術史」地理歴史の増刊「日本兵制史」、住宅に就ては「日本民家の研究」、武道では山田次朗吉氏の「日本剣道史」(剣道史は最近に自分も刊行する)「武術叢書」「剣道学」等。もし専門的になるなら「城かくの研究」とか「城下町の研究」「武家時代の研究」とか、猶徳川期の物では無数にあるが次の章に挙げる。

    二 大衆物について

 時代小説の今一つの種類、所謂、大衆文芸と俗に呼ばれているものについて――。
 これは、その他、髷物、新講談などとも呼ばれているのであるが、かかる通俗的な、種々な名称が与えられいるように、しかく通俗極まる小説を指すのである。
 大衆物は、いうならば現在の芸術小説――文壇小説の興味のなさに対する反動として生れて来、そして読書階級の欲求に投じたのである。従って、興味中心的であり、あくまで娯楽的にとどまり、その限りに於て、芸術的文学観の立場からは批評し得ないものであり、無価値に等しい低級な小説の類だと云っていい。所謂、小説の要素としての心理過程、社会史料、性格、思想なぞの描写に関しては、読む方も書く方も期待してはいないのだから、芸術的批評の適用され得ないのも当然のことといわねばなるまい。
 だから、可成|出鱈目《でたらめ》の事件もあり、荒唐無稽の人物も出没し、ただ専《もっぱ》ら、事件の波瀾重畳のみを本意として興味をつなぐ以外に何ものも見いだし得ないのである。
 この傾向に抗して、かの大佛次郎君なぞは大衆物に、より芸術的なもの、小説的なものを与えようと努力し、効果を挙げているし、その他にも次第にかかる傾向の作品が現れて来たようであるから、何れ大衆文芸が小説として評価されるときも近いであろうと思われる。
 現在の大衆文芸に関して、私は、今、興味中心、娯楽中心なぞと一口にいって了ったけれども、この意味を少し深く考えて見ると、次の二つに区別されるようだ。
 すなわち、恋愛と剣戟《けんげき》と。その二つの交錯が織りなす物語であって、その二つの要素以外に何もない。どの大衆物を見ても、その題材が以上の点で限られている以上、殆んどあらゆる点に於て制約されて来る。だから、どれを読んでも同じような事件と人物のために、遂に読者に厭かれてくるのは当然のことであろう。
 ところが、大衆文芸が(或は時代映画――剣戟映画が)、厭かれはじめながら、なお且、甘ったるい恋愛とチャンチャンバラバラを中心として、その命脈を保っているのはどうしてであるか――思うに、人間には常にかかるアムビシャスな、奇怪な、グロテスクな、謀叛的な、革命的な、そして英雄的なものを要求する傾向――本能の一面があるのではなかろうか。殊に、日本の文壇小説が自然主義に禍いされ、誤った、極限された方向へ突進んでこういう要素を取除いて了った、それがために愈々昂って来たところの以上のような要素への渇望に大衆文芸が投じたのではあるまいか。
 それと、今一つ、日本人には特に、一種の伝統的な剣戟の趣味がある。この著しい例は、殊に歌舞伎劇に見られる。世界中の芝居の中で、単に人を殺すことだけで独立して劇を形造っているようなものは、歌舞伎劇をおいて他にないであろう。例えば――
「団七九郎兵衛の長町裏の殺場」とか、
「仁木弾正の刃傷場」とか、或は、
「敵討襤褸錦《かたきうちつづれのにしき》」の大詰なぞ。
 以上のようなものは二人、もしくは三人がただ斬り合って殺すだけで、他に劇を構成する何ものも見出さないのである。勿論、そこには歌舞伎劇独特の形式美と感覚はあるが、その他に、日本人が殺人、流血に特殊な興味をもっているということが、その発達の少くとも一つの原因をなしていると考えられる。
 絵画でいうなら、かの芳年の非常に残忍な絵が一時非常に流行したことを憶い比べても、日本人という人種が単に好戦的な、惨酷な国民であるなぞというような表面的な見方ではなくして、我々には可成りに剣戟に対する一種特別な伝統的な感覚をもっている、と強調したいほどに思われるのである。
 否、シナ人とか、その他外国人とかが行う虐殺、拷問、死刑なぞは、日本人には到底堪えられないような惨酷さがあるのである。そういった実行的なことになると、日本人は反って割合にあっさりしているようである。ところが、芸術上では世界独特の剣戟殺人の形式と感覚を創造したのであった。
 こういう意味で、一口に剣戟は下等だ、いや反動的だと大ざっぱな言葉で片付けて了うことに私は反対するものである。歌舞伎劇に於て、かくまでも発達、完成された形式美と特殊な感覚とを味わい得ないものには、同時に、剣戟という一要素がなぜかくまで大衆小説を発達させ得たかに考え及ぶことは、とても不可能なことだろう。
 一般に、芸術的非芸術的を別にして小説をうける[#「うける」に傍点]ように、売れるようにするには、即ち通俗的に面白くするにはどんな要素を具備していたらいいだろうか、という問題にたち戻って考えよう。
 第一には、勿論、性欲――エロティシズムである。性欲を検閲の許す範囲内で充分センセーショナルに取扱う、即ち、所謂エロチックに、感覚的に描写する。その一方で哲学なり、思想なり道徳なりを説明する。これに加味するに剣戟をもってするならば、日本人の最も好むものになるだろう。俗うけ[#「俗うけ」に傍点]のする大衆文芸を書こうというのなら、その呼吸さえ心得ておけば、うけること請合いである。成程、作家の芸術的良心はそれを許さないだろう。が、職業として、商売として、作品の商品価値をのみ狙うときは、一応心得ておくこともあながち不必要ではないだろう。
 そうした意味で大衆文芸を見、今一層深く考えてみるに、この上に「泣かせる」ことを加えることが肝要だ、ということが云えるだろう。芸術的作品にしても、通俗的作品にしても、芸術的作品価値は、第二の問題として、俗うけ[#「俗うけ」に傍点]のして、よく売れたという小説をみるのに、すべて婦女子のみならず気の弱い男にも涙を催おさせた作品であるのを見るだろ
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