れている五右衡門の姿をちらりと見た。
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 我田引水のように聞えるかもしれないが、敢て手前味噌を云えば、拙作「由比根元大殺記」(目下「週刊朝日」連載中)の中の立廻りは、今までの大衆文芸のありふれた立廻りとは稍趣きを異にして、内面的にも外形的にも可成り「剣術」の正道に当嵌った描写を注意してやっている積りであるから、もし読者諸君に興味があるなら、読んで欲しいと思うということを附加しておく。
 文壇作家には、「調べた文学」を軽蔑する傾向があるが、大衆文芸に於て、調べた智識を軽蔑しては、大衆文芸の将来の発展は殆んど約束されないと考える。少くとも大衆文芸に於ては、「出来る限り調べ、然も出来るかぎり調べたことを表面に表わさないようにして、事実らしく描出すること」これが第一に肝要である。この標準に依って、先の数個の例を比較研究されたい。
 否、大衆文芸のみならず、あらゆる文芸は以後、益々綜合的となっていくであろう。ただ単に自分の生活を掘り下げて書くことばかりではなく、以外の世界を見た智識をもって書かなければ、小説は書けなくなる時が来るだろう。人間の個人的な精神生活は十九世紀の
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