遠慮は入らぬ。俺はいずれ、近々に太閤の奴にしてやられるにちがいないのだ」
「先生」
「俺は太閤に殺される位なら、今お前に殺される方が満足だ。良いか。やるのだぞ」
「先生、私をここで、お殺しなすって下さいませ」
「うむ、お前が俺を殺さぬなら、俺は今にお前を殺してやる」
 すると、小兵衛の顔は、月の中で俄に大胆不敵な相貌に変って来た。彼は師の後姿を見詰めながら、その背中に斬りつける機会を今か今かと狙い出した。と、二人は寝静った伏見の町へいつの間にか這入《はい》っていた。
 小兵衛は急に気が抜けると、額の汗が口中へ流れて来た。瞬間、前を歩く五右衛門の後姿も、それと一緒にホッと吐息をついた。と見る間に、再び、師はひらりひらりと体を左右にかわし出した。「そら、乱心だ」小兵衛は心を取り戻そうとしたときに、不意にひやりと寒けがした。すると、彼の片腕は胴を放れて路の上に落ちていた。
「やられた」と思った彼は、一散に横へ飛び退くと、人形師の家の雨戸を蹴って庭の中へ馳《か》け込んだ。が、続いて飛鳥のように馳けて来た五右衛門の太刀風が、小兵衛の耳を斬りつけた。と、彼は庭に並んだ人形の群れの中で、風のように暴
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