くてはならぬ。
 以上、私は概括的に、我が国大衆文芸の発達史、及びそれに加うるにその各々の種類を説明し終えた。文学は、今や世界的に転換期に到達している。ブルジョア文学よりプロレタリア文学への転換等よりもっと広汎な意味に於て。その二つを合せたものと云った意味でもない。もっと綜合的な、構成的なものへの転化の意である。成程、プロレタリア文学者は多少の科学的な考え方をするであろう。併し私の云うのは、もっとずっと広い意味に於ける科学的な知識、自然科学、社会科学全般に渡っての知識を包括して云うのである。経済、政治、その他一切の社会現象、人間の知識の凡てを、文学者が自らのものとした時、甫《はじ》めて十九世紀に全盛を見、以後次第に衰微した文学が再び勢よく発芽し、花咲き出《い》でるであろう。
 私が、以上を主張するのには、抑々《そもそも》次の三つの根拠を有するのである。
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一、赤露的言論の絶対的権威、無批判的受け入れ方、に対する批判。
一、無思想であり、無反省でありながら、然も恐しき実行力を、生活力を伝播していくアメリカニズムのジャズ文明に対する批判。
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