・ローラン、アンリ・バルビュッス、亜米利加合衆国のアプトン・シンクレア等の作品はそうである。その他、通俗読物として、ウイリアムス、梅原北明訳の「ロシア大革命史」、ジョン・リードの「世界を震撼させた十日間」等、挙げられるであろう。それ等は我国に於ても割合に広く読まれているようであるが、我国自身のプロレタリア文学は、反って未だ充分に民衆化されていないようである。我国のプロレタリア文学も、その意味でまさに転換期にあると云えるであろう。プロレタリア文学が、文壇的な大衆とは可成りにかけ放れた、狭隘な読者範囲に止っていて、その域を充分脱していないということは、プロレタリア文学の本来の目的に叛《そむ》くものであろうと思う。プロレタリア文学派の人達は、かかる自慰的な域から自身を解放して、文芸のもっと広い大道へ現れ、もっと広汎な読者層を捉えるべく、眼界を転じなくてはならない。林房雄君なぞが、近頃そのことを論じ、「大衆化」が問題とされ来ったのは、注目すべきことであろう。
 宗教が民衆の情熱でありし時代、哲学が民衆の指針でありし時代、それ等の時代には宗教的、哲学的目的小説が行われた。今や、社会の変革が民衆の
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