かのビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」は、歴史的小説であるとともに、仏蘭西革命を書いた政治的社会的宣伝小説である。シェンキヰッチの「|何処へ行く《クオ・ヴァディス》」等の歴史小説でも、当時なお人心宗教に篤《あつ》かりし時代に於て、それは宗教的宣伝小説であった。トルストイの「戦争と平和」が明治時代に我国に翻訳されたのも、それが当時の社会状態に対する政治的な社会的な鋭い批判を含んでいたからであり、「復活」等が当時の帝政露西亜の政府の忌諱《きい》に触れて焼かれたにも拘らず、人心をかくも捉え得たのは、亦その政治社会に対する宣伝的要素を充分備えていたからである。トルストイの作品は、社会的目的小説であったと同時に、彼の哲学、そして宗教をも内容としたから、哲学的宗教的意味に於ける、宣伝小説でもあった。
震災後から猛烈に、大衆文芸と、肩を並べて勃興して来た、当時の民衆文学、即ち今日のプロレタリア文学のごときも、プロレタリア的、革命的思想を民衆の間に広く宣伝せんとする意識的な宣伝小説である。外国ではかかる小説が可成りに広く深く民衆の中に根を張っている。露西亜のマキシム・ゴリキイとか、仏蘭西のロマン
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