用の、ステッキのような恋愛である。
 六、同志的恋愛。コロンタイ女史の小説に表れるような最も新らしい型の恋愛であって、何よりも第一に、政治的に思想的に一致した意見によって同志として結ばれていなければならない。これは、労農ロシアの若きゼネレーションの中から必然的に生れたもので、近頃日本でも林房雄なぞに云々され、流行せんとする傾向があるが、本来はそんな軽率な、皮相的なものではないのであろう。

  五、ユーモア小説

 一体、ユーモアとは、現象の見方にある。人生に、到る処に絶えない数限りなき悲劇的現象を、喜劇的に見たものがユーモア小説なのである。だから需要は常にありながら作者が非常に、稀なのである。ユーモア小説作者の稀なことには、二重の不利が存在するからである。一つは、他から反感を抱かれ勝ちであること。そして、今一つは、作法上に非常に困難があるので、教養あるものに解るように書けば、無教養な人達にはその面白さなり諷刺なりが理解されない憂いがあり、教養少き人達の為に解り易くすれば、教養あるものからは駄洒落《だじゃれ》なぞと軽蔑されること。加うるに、我が国に於ける、かの畸形的な、自然主義文学の発
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