日の大衆文芸の隆盛は、必然的なものであって社会がかくも大衆的にならなくても、新らしい通俗文芸は当然起らねばならぬ機運にあったものだと云い得るのである。
 そこで、話は震災以後に移るのであるが、震災以後に於ても、本田美禅、岡本綺堂、前田曙山、江見水蔭、渡辺黙禅、伊原青々園、松田|竹嶋人《たけのしまびと》と云うような人達が通俗小説を相変らず発表しているのであるが、之等の人は、謂わば硯友社派の残存者達であり、文壇小説家としては落伍した連中であって、残念ながら新らしき大衆文芸の復活者とは決して云えないのである。
 復活以後の最初の作品として挙げるべきは、震災前即ち大正四五年に東京|都《みやこ》新聞に連載された、中里介山の「大菩薩峠」である。今日でこそ、大衆文芸の一典型とまで持囃《もてはや》されているが、発表当時は勿論、大正十二三年頃に到る迄は、その存在すら一般には認められなかったのであった。その他、国枝史郎は、講談雑誌へ「蔓葛木曾桟」を書き、白井喬二は、人情倶楽部へ「忍術己来也」を、大佛次郎はポケットに「鞍馬天狗」を書いていた。然も、之等も亦、殆んど全く人々の注目する処とはならなかったのであっ
前へ 次へ
全135ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング