か、ヂューマの「黒いチューリップ」とか、探偵小説では、有名なルブランのアルセーヌ・ルパン物、コナン・ドイルのシャロック・ホームズ物、その他チェスタートン、フレッチャー等々。以上のような種類の文芸の傑作が、日本には、少くとも明治以後には皆無だといっていい。しかし、文壇小説の沈滞にあきたらず、以上の如き種類の文芸作品を痛切に欲求する事は、日本の読者も何ら変りはない。否、その畸形的な発展のために、かえって、助長されたかの感があるのである。
 かくの如くにして震災後日本に於ける大衆文芸は、勢すさまじく発達してきた。だがそれは未だ発達の最初の段階に過ぎないのである。現在ではその一部分が発達したに過ぎない。大衆文芸の発達は愈々これからである。髷物に、現代物に、そして少年少女小説に、探偵小説に、冒険小説に、伝奇|譚《だん》に、大衆文芸は愈々、広汎に、愈々深く、読者大衆の中に氾濫して行きつつある。この愈々混乱し速力を増す一方、大衆の貧困の激する処あくまでも娯楽的で、そして啓蒙的なものとしての、大衆文芸の発達は、増々将来に於て見るべきものがあるであろう。然も、大衆文芸に於ては、興味そのもののみにて、何ら
前へ 次へ
全135ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング