ってあった。……皇帝は大理石の廊下伝いに広間へ趣いた。宮中衛兵《バラチン》達は丈四尺もある長槍を立てて、まるで彫刻の様に粛然と二列に並んで立っていた。式部官が捧げて行く金襴で作ったコンスタンチヌス大帝の旗が、基督の頭文字を輝かせ乍ら、さらさらと鳴った。静粛官は行列の前を走り乍ら、手を振って敬虔なる静寂を命ずるのであった。
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その他、|半獅半鷲の怪獣《グリフォン》の飾りのある神殿だとか、有名な浴場だとかの描写は何れも微細に亙っている。又、貴族の子弟がストイック主義に基いて教育せられ、固い寝床に寝せられる習慣、現代の人ほど裸体になることを恥としていない羅馬人の風俗等々、当時の生活状態は再び活々と浮び出される。
作者メレヂコフスキイが、かくの如く当時の空気を彷彿せしめることを得たのは、一つには彼が南欧地方を巡遊したと云う経験を持っていたと云うことにもよるであろうが彼の学究的態度なり、その深奥な考証的知識なりは実に感嘆すべきものである。メレヂコフスキイを以て、二十世紀の歴史小説の大家とする所以も亦、ここにある。メレヂコフスキイは哲学者であり、宗教家である。又、詩人としての感情も、小説家としての立派な能力も持っているけれども、一八九五年に古代羅馬を描き出すには、それ等のものだけでは不充分である。歴史小説としての「神々の死」を不朽ならしめたものは、実に彼の歴史科学の、正確なる知識である。(上述、「神々の死」からの引用文は、何れも米川正夫訳、新潮社出版――大正十年――の邦訳によったのである)
素より、歴史小説は、芸術的な小説であって、断じて、教科書風な、無味乾燥の記述ではない。けれども史実を無視した歴史小説はどんなにか読者に馬鹿馬鹿しさを与えることだろう。極端な例を採れば、若しも近藤勇が忠実なる勤王の武士であって、蛤御門の戦に討死すると云った風の小説が書かれたとしたら、どうだろう。読者は必ずや失望するだろう。芝居の場合なら観客は沸く[#「沸く」に傍点]に相違ない。こんな簡単な、周知の事実の場合には直ぐに気がつくが、多くの似而非《えせ》歴史小説は、大なり小なり、此のたぐいであることは、容易にわかるものではない。稍もすれば、大衆文芸が軽蔑されるのは、こんな荒唐無稽が禍いするのではないか。
文学を志す者は、須《すべから》く従来の、伝統的な悪風を捨てて、「天才」の表面的模倣に暇を潰すよりも、科学を研究すべきである。歴史小説を書く者は、小説家であると同時に史家でなければならぬ。
やがて、我国に於ても、真の歴史小説が生れるであろう。前記真山青果の維新物等には、そのよき意図が現れている。
例えば、「颶風時代」の第三幕に於ては、文久二年十二月十三日の品川宿遊女屋土蔵相模に於ける、伊藤俊輔と志道《しじ》聞多との会話、焼弾陰謀の相談等、実際にあり得べきことである。殊に風俗の点に関しては正鵠を得ている。「土蔵相模はその頃品川第一の妓楼という程ならねど、勤王有志殊に長州志士等の遊興せる家なり。位置は宿の中宿にありて江戸よりゆけば右側にあり」等は歴史的地理的考証を持つに非れば明言し得ざるところである。
こういう事に就ての知識は、現在|纏《まと》められた書物が無く作家独自の研究によらねばならない。巷間民間の歴史に就て、日本の史学者の値は零《ゼロ》である。極く初歩の参考書を云うと、服装、風俗では、「歴世服飾考」「貞丈雑記」「近世風俗類聚」など、食物は、宇都宮黒滝氏の「日本食物史」、旅行は、鉄道省の「日本旅行記」吉田十三氏の同名の書。戦争に関しては、参謀本部の「日本戦術史」地理歴史の増刊「日本兵制史」、住宅に就ては「日本民家の研究」、武道では山田次朗吉氏の「日本剣道史」(剣道史は最近に自分も刊行する)「武術叢書」「剣道学」等。もし専門的になるなら「城かくの研究」とか「城下町の研究」「武家時代の研究」とか、猶徳川期の物では無数にあるが次の章に挙げる。
二 大衆物について
時代小説の今一つの種類、所謂、大衆文芸と俗に呼ばれているものについて――。
これは、その他、髷物、新講談などとも呼ばれているのであるが、かかる通俗的な、種々な名称が与えられいるように、しかく通俗極まる小説を指すのである。
大衆物は、いうならば現在の芸術小説――文壇小説の興味のなさに対する反動として生れて来、そして読書階級の欲求に投じたのである。従って、興味中心的であり、あくまで娯楽的にとどまり、その限りに於て、芸術的文学観の立場からは批評し得ないものであり、無価値に等しい低級な小説の類だと云っていい。所謂、小説の要素としての心理過程、社会史料、性格、思想なぞの描写に関しては、読む方も書く方も期待してはいないのだから、芸術的批評の適用され得ないのも当然
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