衆作家にも視られ、又、正木|不如丘《ふじょきゅう》は、現代物しか書かぬが、大衆作家であり、総てが文壇人関係者の常識よりなされたる区別故、厳密な意味に於ての区別は不可能である。
従って、私は、この講義に於て、他の小説作法があって、それが、芸術小説、文壇小説を説くとするなら、大衆文芸の内へはその他の一切、即ち、科学小説、目的小説、歴史小説、少年少女小説、探偵小説等、総てを含めて、大衆の文字のままに定義していいと信じなくてはならぬ。
それで、それらの総てを包含した物として、大衆文芸の定義を下すなら、
「大衆文芸とは、表現を平易にし、興味を中心として、それのみにても価値あるものとし、又は、それに包含せしむるに解説的なる、人生、人間生活上の問題をもってする物」と云いたいのである。
第二章 大衆文芸の意義
私は、次に、以上の定義に従って、大衆文芸の意義を説きたいと思う。それは、しばしば芸術小説との価値比較をされるが故にも必要であり、大衆文芸そのものの使命に就いても、知って置かねばならぬ事だからである。
私は、問題を少し遠くの方へもって行く。人間は嘗て、太陽が吾々の周囲を出没していると信じ、人類を宇宙の中心と考えていた時代があった。
又、神の子、仏の末裔《まつえい》であると信じ、宗教への情熱が、人間の中心となり、宗教家は人間の最高の者として、尊敬され、十字軍がしばしば起り、帝《みかど》は、自らを三宝《さんぽう》の奴《やっこ》と称された時代があった。
然し、やがて宗教への情熱は醒め果て、人間が理智的に目覚めた時、人間の精神生活を指揮するものは、哲学であると信じられ始めた。洋の東西に於て、多くの哲学者達は、人間よ、かく行うべし、かく云うべし、かく考えるべしと、多くの哲理を示してくれた。だが、それによっても人間は救われなかった。
その次に現れて、人間の感情と、理性とへ訴えたものは文学である。文学は、宗教の如く、非理性的でなく、哲学の如く理智のみで無く、感情を揺り動かし、理性を柔かく撫で、精神生活のリーダーたらんとしたのである。だが、トルストイ伯の、ドストエフスキイの、深刻なる文芸作品によって、然らば人間は? 救われたであろうか?
目に文字なく、頭に思考する事なく、一日畑に、工場に汗して働く者達が卑く、深遠なる哲理を彼の書斎で考えている少数の選ばれし者のみが尊い、ということは、人間の考え方の一つの重大な誤りであった。精神生活のみが人間の唯一の生活ではない。精神生活のみが尊く、物質的生活が卑しいという事は、明らかに誤謬《ごびゅう》である。だが、まだ人間は、他の動物にない思索力を有するが故に、しばしばそれを過度に尊敬して来たし、現在でも一部分の者はしているのである。
そして、この誤謬を直さんとする運動の一つが、社会運動である。人間全体の生活をよくする事は、文学に於てよりも、直接の社会運動による事が遥かに有力であると、発見したからである。文学は寧ろ社会運動に利用されようとするに到った。
この思索の過重的尊重という事が、芸術小説の癌を為《な》している。それが如何に、低級、浅薄であろうとも、それのみを尊重して、興味ある事を除くという事が、精神生活に於ては尊いという風に考えられていた。
一体、思索の尊さは、読書人がそれによって、感激する場合のみである。何の感激も与え無い、陳腐にして、常套的なる物が、余りに多く描かれ、過去の文学は既に感激を失って了った。現在、果してトルストイ伯の、ドストエフスキイの作品が人々に昔程の感激を読者に与えるであろうか。
精神生活のみを尊重し、物質生活を卑しいと見ることの謬見であるのを、私は既に述べた。何故なら、物質生活こそが精神生活の根底であるから、私は、物質生活と精神生活と何《どち》らが尊いかと云うのではない。物質生活の安定あって、始めて精神生活が充分に為されるのである。その物質生活は、現在どうであるか。資本主義社会の矛盾によって大衆の物質生活は益々、極端に貧困化しつつある。現在の社会は、見よ、加速度的に混乱して行くではないか。それは一方、科学の異常な進歩と、交通機関の発達によって、生活も社会も、思想も刻々に変革されて行き、往古の如く同一状態に於て、半世紀、一世紀を送る悠長さを許さなくなって来たのである。
社会はどうなるだろうか? 思想はどう結末するだろうか? 誰も今日、それに対して明快に答え得るものは無いのであろうか? 己の立っている土台が動いているのである。婦人は、封建的貞操を棄てんとしつつ、而《しか》も、それに代る道徳を見出し得ない。男子は、古き衣を脱いだが、新らしき着物を知らない。社会は、一革命を起さんとしつつも二つの勢力は対等に抵抗しあっているのである。
今や、ヨーロッパ文明は沈消して、
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