里霧中に彷徨《さまよ》わせるのもいい――ヴァン・ダインの「グリース家の惨劇」、次から次へと糸をたぐるように無限に思われるほどの人物を点出して、なお彼方に犯人をかくすのもいい――ルブランの「虎の牙」、兎に角、要は読者にサスペンスをもたしていくことが必要である。
 その為には、トリックが必要となって来る。伏線に伏線が重なりもつれ合う、そして読者が五里霧中になる。一つがもつれると、他が少しほぐれ、そして又その上に伏線が重なる、といった具合に、常にある部分の期待と期待につらなる不安――サスペンスを持たせるためには、トリックが重要な役割をする。ルブランの探偵小説など御覧になるとすぐわかる。いうまでもなく、そのトリックは充分現実性を備えていなくてはならない。だから、第三の特徴として「暴露されないトリック」が挙げられるのである。
 以上のようなものが「探偵小説」の特徴として数えられる。「探偵小説」は、大衆文芸の一分野としても考えられるのであるが、それ自身又独立して「探偵小説」としての分野を展開している。即ち、次の三つの種類にわけて考えていいと思う。
 本格的「探偵小説」、文学的或は芸術的「探偵小説」及び大衆文芸的「探偵小説」――
 本格的「探偵小説」の中に含まれるのは、古い所では、コナン・ドイルの探偵作品、新らしい所では、現在人気の頂点にあるといわれている、かのヴァン・ダイン、又はウォーレスのごとき人の作品が挙げられるであろう。
 文学的なものとしては、チェスタートンの「ブラウン物語」のごときが挙げられるべきであり、大衆文芸的「探偵小説」としては、ルブランの作品が代表的なものであろうと思われるのである。
 だが、概して「探偵小説」の進み行くべき道をいうなら幾度も述べたごとく、将来は益々科学的になっていくであろう。科学の進歩のみが、新らしい現実性を将来の世界に生みだして行くであろうし、従って、トリックにも愈々科学が応用されるであろうことは当然である。科学の絶えざる進歩のみが、「探偵小説」を常に新らしいものたらしめ得るのである。例えば、殺人光線、小周波電波の利用、テレビジョン、テレボックスの如き新らしい科学的発明が、将来の「探偵小説」に使用されるであろう。そして、「探偵小説」はそれによってのみ、愈々多幸なる未来を有しているといっていいと思う。
 最後に、「探偵小説」に於ける日本と諸外国との相違について一言しよう。
 即ち、日本の作家は「探偵小説」を書くに当って種々の困難がともなうのである。
 それは、第一に、日本の家屋の構造が外国と異り、開放的であることである。このことは犯罪遂行その他に非常に困難なのである。
 第二に、日本の警察制度が世界無比に完全していることである。だから、あまり出鱈目が書けない。真実味がなくなって了うのである。例えば、アメリカのシカゴとかニューヨークなどの大都市の暗黒街は殆んど官憲の手がつけられない程である。諸君は、外国映画のクルップ・プレイで優れた映画が多いのを知っているだろう。官憲と無頼漢が機関銃で対抗しあったりすることは、我国では想像だも出来ないことである。こんなのを、直ちに日本に移植したりして、映画を造った処でそれが馬鹿馬鹿しいものになるであろうのと同様である。
 第三に、外国の「探偵小説」に私立探偵が活躍するのは警察制度が不完全であることに基いている。だから外国であれば、実際にあり得る現象であるが、日本では私立探偵などは社会的に認められるには到っていない。警察制度が完備していて、その余地がないからである。例えば、外国では、警部も、探偵も、刑事も、デテクチーブという言葉で代表される。その点、我国とは甚だ事情が違っているといわねばならない。
 こう云った種々の条件で、我国では「探偵小説」が非常に書きにくい状態におかれているのである。我国に、本格的ないい「探偵小説」が少いのも、以上のような理由のためであろう。
 序《ついで》に、この章で、今日流行している「実話物」に触れて置こう。
 一体、「実話」は、アンチ文学要求の一つなのであるが、これも亦、外国での流行から影響された結果なのである。我々は、ここでも外国と日本との差違を考慮に入れなければならない。
「実話」は外国に流行しはじめているのであるが、特にアメリカに於て最も盛んである。それは、如何なる理由によるかというと、アメリカの生活――社会生活、従って個人生活は実に、小説以上のものなのである。その多種多様であり、凡ゆる点でセンセショナルなことは驚くべきものがある。
 一例をとるならば、アプトン・シンクレアの小説を読んだなら、アメリカ大都市市政の腐敗が東京市政の腐敗などとは比較にならぬほど驚くべきものであり、又、タマニホールなどの策動の如何に深刻で計画的であるかは、我、田中
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