我国の大衆文芸で最も圧倒的な顕著な効果を収めつつあるものは、諸君も眼前に見られる通り、「探偵小説」の流行である。これは、ただに我国のみの現象ではない。既に「科学小説」が立派に存在し、読者大衆を喜ばしつつある西洋諸国に於ても、我国同様、「探偵小説」は全盛を極めているのである。要するに、「探偵小説」の著しい流行は、近来、大衆文芸界に於ける世界的な現象なのである。
然らば、この輓近《ばんきん》、「探偵小説」流行の現象は、一体何ういう風に解釈すべきなのであろうか。そういう点から問題を考えて見よう。そうして、その最も手近なところから出発して、「科学小説」へ進んでいこうと思う。
読者大衆の「探偵小説」への欲求は、先ず何よりも次のような点から根本的には考えられるのではないだろうか。
即ち、これ迄の文学に於て、人間の感情生活、換言するなら個人生活を描くことは、既に充分に書き尽されて了ったかの感が深い。それらを同じように主題とした文学は、小説は、もうこれ以上新らしく現るべくもなく、又読者の充分な興味を惹くことも出来ないであろう。何故なら、時代は十九世紀から二十世紀へ進んでも、人間の感情生活は最早本質的には何ら新らしいものを生じなかったからに他ならない。勿論、新らしい意味を含んだ、目新らしい主唱は当今、盛んに行われている。けれども、それらは要するに経済的、社会的、政治的な理論を多分に含んでいるのに過ぎないのであって、経済的、社会的、或は政治的見地から観察するときは、重大な意味をもって来るには違いなかろうが、感情的には本質的に昔と変った、全く新らしい何ものをも有しないと云っていいだろう。
だが、成程、その点では十九世紀の文学に於ける揚合とは可成りに異ってきている。個人の生活に人間の社会生活を従属させていた十九世紀の文学、即ち、個人生活を主題としそれを説明し、解釈しようと試みた十九世紀の文学――小説と、個人生活が社会的集団生活に歪められ、そして個人生活よりも、より社会的生活を重要視している二十世紀、現在の文学――小説とは、当然異っていなければならない。勿論、十九世紀の文学にもそうした傾向は現れはじめていた。そして、由来人間の生活革命と云うことは漸次的に行われるものであって、政治変革といったもののように決して突変的ではあり得ない以上、前述のことは当然であるが、前世紀に於てはそういう傾
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