遠慮は入らぬ。俺はいずれ、近々に太閤の奴にしてやられるにちがいないのだ」
「先生」
「俺は太閤に殺される位なら、今お前に殺される方が満足だ。良いか。やるのだぞ」
「先生、私をここで、お殺しなすって下さいませ」
「うむ、お前が俺を殺さぬなら、俺は今にお前を殺してやる」
 すると、小兵衛の顔は、月の中で俄に大胆不敵な相貌に変って来た。彼は師の後姿を見詰めながら、その背中に斬りつける機会を今か今かと狙い出した。と、二人は寝静った伏見の町へいつの間にか這入《はい》っていた。
 小兵衛は急に気が抜けると、額の汗が口中へ流れて来た。瞬間、前を歩く五右衛門の後姿も、それと一緒にホッと吐息をついた。と見る間に、再び、師はひらりひらりと体を左右にかわし出した。「そら、乱心だ」小兵衛は心を取り戻そうとしたときに、不意にひやりと寒けがした。すると、彼の片腕は胴を放れて路の上に落ちていた。
「やられた」と思った彼は、一散に横へ飛び退くと、人形師の家の雨戸を蹴って庭の中へ馳《か》け込んだ。が、続いて飛鳥のように馳けて来た五右衛門の太刀風が、小兵衛の耳を斬りつけた。と、彼は庭に並んだ人形の群れの中で、風のように暴れている五右衡門の姿をちらりと見た。
[#ここで字下げ終わり]

 我田引水のように聞えるかもしれないが、敢て手前味噌を云えば、拙作「由比根元大殺記」(目下「週刊朝日」連載中)の中の立廻りは、今までの大衆文芸のありふれた立廻りとは稍趣きを異にして、内面的にも外形的にも可成り「剣術」の正道に当嵌った描写を注意してやっている積りであるから、もし読者諸君に興味があるなら、読んで欲しいと思うということを附加しておく。
 文壇作家には、「調べた文学」を軽蔑する傾向があるが、大衆文芸に於て、調べた智識を軽蔑しては、大衆文芸の将来の発展は殆んど約束されないと考える。少くとも大衆文芸に於ては、「出来る限り調べ、然も出来るかぎり調べたことを表面に表わさないようにして、事実らしく描出すること」これが第一に肝要である。この標準に依って、先の数個の例を比較研究されたい。
 否、大衆文芸のみならず、あらゆる文芸は以後、益々綜合的となっていくであろう。ただ単に自分の生活を掘り下げて書くことばかりではなく、以外の世界を見た智識をもって書かなければ、小説は書けなくなる時が来るだろう。人間の個人的な精神生活は十九世紀の
前へ 次へ
全68ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング