「天才」の表面的模倣に暇を潰すよりも、科学を研究すべきである。歴史小説を書く者は、小説家であると同時に史家でなければならぬ。
やがて、我国に於ても、真の歴史小説が生れるであろう。前記真山青果の維新物等には、そのよき意図が現れている。
例えば、「颶風時代」の第三幕に於ては、文久二年十二月十三日の品川宿遊女屋土蔵相模に於ける、伊藤俊輔と志道《しじ》聞多との会話、焼弾陰謀の相談等、実際にあり得べきことである。殊に風俗の点に関しては正鵠を得ている。「土蔵相模はその頃品川第一の妓楼という程ならねど、勤王有志殊に長州志士等の遊興せる家なり。位置は宿の中宿にありて江戸よりゆけば右側にあり」等は歴史的地理的考証を持つに非れば明言し得ざるところである。
こういう事に就ての知識は、現在|纏《まと》められた書物が無く作家独自の研究によらねばならない。巷間民間の歴史に就て、日本の史学者の値は零《ゼロ》である。極く初歩の参考書を云うと、服装、風俗では、「歴世服飾考」「貞丈雑記」「近世風俗類聚」など、食物は、宇都宮黒滝氏の「日本食物史」、旅行は、鉄道省の「日本旅行記」吉田十三氏の同名の書。戦争に関しては、参謀本部の「日本戦術史」地理歴史の増刊「日本兵制史」、住宅に就ては「日本民家の研究」、武道では山田次朗吉氏の「日本剣道史」(剣道史は最近に自分も刊行する)「武術叢書」「剣道学」等。もし専門的になるなら「城かくの研究」とか「城下町の研究」「武家時代の研究」とか、猶徳川期の物では無数にあるが次の章に挙げる。
二 大衆物について
時代小説の今一つの種類、所謂、大衆文芸と俗に呼ばれているものについて――。
これは、その他、髷物、新講談などとも呼ばれているのであるが、かかる通俗的な、種々な名称が与えられいるように、しかく通俗極まる小説を指すのである。
大衆物は、いうならば現在の芸術小説――文壇小説の興味のなさに対する反動として生れて来、そして読書階級の欲求に投じたのである。従って、興味中心的であり、あくまで娯楽的にとどまり、その限りに於て、芸術的文学観の立場からは批評し得ないものであり、無価値に等しい低級な小説の類だと云っていい。所謂、小説の要素としての心理過程、社会史料、性格、思想なぞの描写に関しては、読む方も書く方も期待してはいないのだから、芸術的批評の適用され得ないのも当然
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