、小説そのものも、事件それ自身も、当時の人々の未知のものであり、無経験のものであり、空想だにもしなかったものであった。換言するならば、当時、日本の文芸にとって、全く新しき境地であり、開拓地であったのである。宜《むべ》なり、当時の新らしき文学を理解し、信奉する、主として若き、新進気鋭の徒は、悉《ことごと》くその方に走ったのであった。
「地底旅行」「海底旅行」「三十五日間空中旅行」等の、当時の人々の好奇心を煽り、空想力を楽しましめるに充分な読物が現れ、
森田思軒は、「大東号航海日記」「大|叛魁《はんかい》」「十五少年」を書き、
松居松葉は、「鈍機翁冒険譚」を発表し、
菊池幽芳は、「大宝窟」「二人女王」を書き、
幸田露伴は、「大氷海」を、
桜井鴎村は、「三勇少年」「朽木舟」「決死少年」を、
そして、
押川春浪は、「武侠艦隊」「海底軍艦」「空中飛行艇」を発表して、世の喝采を博した。
その他、
スタンレーの「アフリカ探険記」、キャピテン・クックの「世界三週航実記」、「ロビンソン・クルーソー」、「不思議の国巡廻記」「アラビアン・ナイト」等が翻訳された。
かくの如く、冒険、乃至《ないし》は探険小説の発達は、当時の少年文学に大きな刺戟を与え、少年文学が提唱された。即ち
尾崎紅葉は、「侠黒児」を書き、
巌谷小波は、「黄金丸」を発表し、
川上眉山は、「宝の山」を、
土田翠山は、「小英雄」を、
与謝野鉄幹は、「小刺客」を書き、
黒岩涙香に依って、「巌窟王」「噫《ああ》無情」が翻訳されたのであった。
時代物としては、
外山|ゝ山《ちゅざん》の、「霊験王子の仇討」(ハムレット)、「西洋歌舞伎葉列武士」が現れ、
村上浪六は「三日月次郎吉」「当世五人男」「岡崎俊平」「井筒女之助」と彼の傑作を続々と発表し、
塚原渋柿園は「最上川」を、
村井弦斎は、「桜の御所」を報知新聞に書き、その他、「衣笠城」「小弓御所」を著した。
加之《しかのみならず》、新聞小説も漸く盛んになり、
恋愛物としては、
蘆花の「不如帰」が著され、
紅葉山人の「金色夜叉」が明治三十年に出でて、世に喧伝され、
弦斎の「日出島」が出て、
幽芳は、三十三年大阪毎日新聞に、「己が罪」を書いて世の子女を泣かせ、
小杉天外は、「魔風恋風」を三十六年読売新聞に連載し、大倉桃郎は、「琵琶歌」を
前へ
次へ
全68ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング