国との相違について一言しよう。
即ち、日本の作家は「探偵小説」を書くに当って種々の困難がともなうのである。
それは、第一に、日本の家屋の構造が外国と異り、開放的であることである。このことは犯罪遂行その他に非常に困難なのである。
第二に、日本の警察制度が世界無比に完全していることである。だから、あまり出鱈目が書けない。真実味がなくなって了うのである。例えば、アメリカのシカゴとかニューヨークなどの大都市の暗黒街は殆んど官憲の手がつけられない程である。諸君は、外国映画のクルップ・プレイで優れた映画が多いのを知っているだろう。官憲と無頼漢が機関銃で対抗しあったりすることは、我国では想像だも出来ないことである。こんなのを、直ちに日本に移植したりして、映画を造った処でそれが馬鹿馬鹿しいものになるであろうのと同様である。
第三に、外国の「探偵小説」に私立探偵が活躍するのは警察制度が不完全であることに基いている。だから外国であれば、実際にあり得る現象であるが、日本では私立探偵などは社会的に認められるには到っていない。警察制度が完備していて、その余地がないからである。例えば、外国では、警部も、探偵も、刑事も、デテクチーブという言葉で代表される。その点、我国とは甚だ事情が違っているといわねばならない。
こう云った種々の条件で、我国では「探偵小説」が非常に書きにくい状態におかれているのである。我国に、本格的ないい「探偵小説」が少いのも、以上のような理由のためであろう。
序《ついで》に、この章で、今日流行している「実話物」に触れて置こう。
一体、「実話」は、アンチ文学要求の一つなのであるが、これも亦、外国での流行から影響された結果なのである。我々は、ここでも外国と日本との差違を考慮に入れなければならない。
「実話」は外国に流行しはじめているのであるが、特にアメリカに於て最も盛んである。それは、如何なる理由によるかというと、アメリカの生活――社会生活、従って個人生活は実に、小説以上のものなのである。その多種多様であり、凡ゆる点でセンセショナルなことは驚くべきものがある。
一例をとるならば、アプトン・シンクレアの小説を読んだなら、アメリカ大都市市政の腐敗が東京市政の腐敗などとは比較にならぬほど驚くべきものであり、又、タマニホールなどの策動の如何に深刻で計画的であるかは、我、田中
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