る。少し先の経済界の動きを、見る事が出来ないで、目先ばかりを見ている所に起る。
 だが――然し、私の目的は、こんな理屈ではなく大阪を歩くのであった。いつの間にか、少し暖かくなってきて、歩くにもそう苦しくなくなってきた。そして、いつの間にか、私の、この愚文の、挿絵をかいてくれた、小出楢重君が死んでしまった。私も、明日の飛行機で、戻るのであるが、最初の旅客機墜落の見出しの中に、私の名が出るかもしれない。こんな事をかいていて、それが、本当に――だが、私は、こうした迷信に対して、一向感じないから、小出君を、明日弔ってみようとおもう。

  楢重君と九里丸君

「上方」という雑誌を寄贈してもらっているが、その二月号に、九里丸君が「チンドン屋とかいて東西屋とかかなかったのは、いけない」と云っているが、私は、九里丸君の父君が、チンドンチンドンと歩いていたとかいたので「屋」とは、書いてない筈である。その中に、私の住んでいた家の下の、長屋から、八卦見と、落語家と、東西屋との名を為した三人が生れたのは、おもしろいと書いていたが、願わくば、九里丸君よ、君と私とをも、その中へ入れて、五人男にしておいてくれたら
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