御霊文楽座に於て、見受けた所であるが、これは猶大阪人の楽しみの一つであるらしい。東京の女性は椅子席で芝居のみを見て、幕間に食堂で食べ、廊下で、容色と衣裳とを見せる事に、すぐ慣れたが、大阪の女は、もし、松竹が、悉く、芝居を椅子席にしたなら、恐らく、不平を洩らして、拗ねるにちがい無い。
 東京の女は「西洋は、こうだ」というと「そう」と、云って食べたいのを我慢するが、大阪の女は「芝居で物を食べたら、何んでいきまへんね」と、突っかかるにきまっている。私は、芝居を見乍ら、食べ、飲み、握手し、接吻することを、決して下等だとは、思わないが、こうした東京の女は、直ぐ新らしさを受入れ、大阪の女は旧風を固守する事に、可成り文化の進歩に、遅速が生じて来たと思っている。
 直ぐ、ハイカラ風を受入れる、受入れるに就いての是非は別として、何程かの後に東京風が、大阪へ侵入して来る事だけは確かである。大阪の女が、どんなに頑張ろうとも、芝居はだんだん椅子風になって、食事と別になる事は明らかである。そして、それらの遅速が文化の遅速である。
 私は、私の母の如く年に一度しか、芝居へ行かぬ女でさえ、中村鴈治郎を、自分の鴈治郎
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