歩く準備

「大阪を歩く」前篇は、いい評判であったらしい。
(本紙の社長、前田氏は、よかったよ、と、云っていたが、らしい[#「らしい」に傍点]と疑問にしておくのは、文筆業者の、奥床しさ、というものである)
 だが、前篇がよかったからとて必ずしも後篇もいいとは云えない。大抵のいい物でも、続々何々になると、きっと面白くなくなってくるのが、常である。
 然し、私は前篇に於て「歩く」つもりをしていながら、歩かなかった。つまり、卓文を書いている内に、約束の十回が終ってしまったのである(前田氏は、十回で、大阪中を歩かせるつもりだったが、そうは行かない。こう見えても、通り一遍の大衆作家で無く、いろんな事を心得ているのだから――と、これは、文筆業者としての、広告である)。
 だが、今度は、いよいよ歩かなくてはならぬ。この寒い、お正月に――実の所、私は、マントも、帽子も、持っていない。マントは震災前、菊池寛からもらったが、質に入れて、流してしまった(正しく云えば、流れてしまったのだ。私は、流すつもりではなかったのだが)――それから、帽子は、地震の時に、三つ重ねて冠っていた記憶があるから、確に、
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