それが、何んなに、特種なものであるか? とか――つまり、微に入り、細に亙り、大阪の文化性を論じ、忽《たちま》ち女郎の弁当に移り、千変万化、虚々実々、上段下段と斬結ぶつもりであったが――雨である。
 雨であっても「洋食弁当」を、論じには行けるが、多分女は、私を離すまいから、私は、放送におくれたり、三日も、弁当のみを論じて、読者から叱られるにちがいない。それで、私は、今日、図書館へ行って、大阪の史蹟を調べようと思ったが、人口二百幾十万と誇っているこの大都市に図書館は、一つしかない。私がしばしば通っていた時分から、いつも満員であったが、大阪の富豪が、南の方へ、建てたという話をきかないから、未だ、中之島だけであろう。二百何十万の、空虚な頭が集合しているだけで、大阪よ、ロシアの、大ダンピングさ。大阪人等は、想像できるか? 所謂、資本主義の第二期的現象としての、生《しょう》一体、御前は、何を考える事ができる?
 私は、大衆作家であるが、金貨本位の経済組織の危機を知っている。五ヶ年計画完成後に於ける生産と、消費との大ギャップ問題を、この非文化的頭脳で、判断できるか?
 大阪町人の大多数は、せいぜいこ
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