しい、何処の都会にも、共通する、文化人であったにちがいない。
 少くも、西鶴、近松。下って、懐徳堂から町人学者の輩出した当時の大阪人は、今の田舎者の成功者とは、ちがった人間であった。そして、私は、それを、大阪人だと、思っている。現在の例で云えば、平瀬氏などが、大阪町人の代表的一人で、近江商人などの、こすっ辛さと、人間の性がちがっている。
 所謂、檀那様、お家はん、であって、番頭が一切をやっていて、薄暗い所に、一日、徒然《つれづれ》なのが、町人である。そして、これは、江戸の町人とも共通していて、ちがうのは言葉だけ――いいや、本当の、上等の、江戸っ子は、決して、べらんめえではない。しとやかな言葉である。
 所が、悪貨は、良貨を駆逐すの原則通り、檀那はんは、だんだん伊勢の丁稚上りに圧倒され、丁稚は、ひたすらに勤倹力行して成功し、とうとう、その風が大阪中へ拡がって、こすいとか、厚釜《あつかま》しいとか、野暮とか、しみたれとか、いろいろの悪評を蒙るようになったが、これ、田舎者のせいだ、断じて、大阪人は、そうでは無いのである。

  百貨店
   附、店員心得のこと

 私は、大阪のデパートによく入る。着いた日も、行ってみた。私の、愛人(私は、私と交際している女を、皆愛人と呼ぶことにしている。愛している――神聖なる意味に於て、愛しているからである。つまり、愛児と、同じ意味で決して、私を、咎めてはならない)が、牛肉が好きなので(これは、少し、愛人として、色消しであるが)その味噌漬を、送ってやろうと(おお、親切な愛友よ!)してである。
 牛肉店は、店を入って左側にある。私は、一番大きい――だが、金五円しかしないのを送ろうとしたら、店員が「品切れです、五円のは」と、云った。「じゃあ、三円のでもいい」(実際、三円のでも大きくて、十円位に見えるのである。愛人への贈物としては、確に、ダイヤの小さいのよりも、甚だ、適当している)「下に送る所がありますから、下へ行って下さい」
 私は、その「下」が、何処にあるのか知らないし、三円で、そんな手数のかかるのは、面倒だから、黙って、立去った。店員は、ちらっと、私を見て、黙っていた。
 私が、愛人の為に、下へ行くのを、おっくうがったのは愛人に対しても、又、店側に対しても、我儘であるにちがい無い。然し、私から云わせると、私の如き者の為にも、其処で、送り先
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