それが、何んなに、特種なものであるか? とか――つまり、微に入り、細に亙り、大阪の文化性を論じ、忽《たちま》ち女郎の弁当に移り、千変万化、虚々実々、上段下段と斬結ぶつもりであったが――雨である。
雨であっても「洋食弁当」を、論じには行けるが、多分女は、私を離すまいから、私は、放送におくれたり、三日も、弁当のみを論じて、読者から叱られるにちがいない。それで、私は、今日、図書館へ行って、大阪の史蹟を調べようと思ったが、人口二百幾十万と誇っているこの大都市に図書館は、一つしかない。私がしばしば通っていた時分から、いつも満員であったが、大阪の富豪が、南の方へ、建てたという話をきかないから、未だ、中之島だけであろう。二百何十万の、空虚な頭が集合しているだけで、大阪よ、ロシアの、大ダンピングさ。大阪人等は、想像できるか? 所謂、資本主義の第二期的現象としての、生《しょう》一体、御前は、何を考える事ができる?
私は、大衆作家であるが、金貨本位の経済組織の危機を知っている。五ヶ年計画完成後に於ける生産と、消費との大ギャップ問題を、この非文化的頭脳で、判断できるか?
大阪町人の大多数は、せいぜいここ、二三年の経済界の事しか判っていない。経済策とか、ダグラスの経済論とか、ロシアの新経済論とか――そうした、直に、金儲けにならぬ論に対しては、何の興味も、もっていないが、これが、大阪町人をして、中富豪たらしめたと同時に三井、三菱になり得ない原因である。
経済も、思想も、激変して行くであろう。赤テロは、何んだんねと云っている間に、ロシアは、既に、材木と、小麦のダンピングによって、世界市場を、攪乱させ始めた。こんな事は、畑ちがいの僕にさえ、常識として判っているが、大阪町人の幾人が、この事実に対して何《なに》を何《ど》う考えているか?
私は大阪を歩き、大阪の人と逢ってもう少し大阪の為に語りたいが――多分、私は、大阪に、また失望するものと思っている。私如き一介の小説家にして、猶最新の経済理論を心得ているに拘らず大阪町人は己の領分の経済思想をさえもっていないのが多いのである。憐れむべき、大阪、及び大阪人よ、私はまだ故郷へ戻りたくない。もう、二年――そうだ、二年位で、判るだろう。
私は、これで一度、東京へ戻ろう。そうして、もう一度又、機があったなら、歩きにくる事にしよう。
続大阪を歩く
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