そして、公園中を動物園にして、羊と、兎と、小鳥とを開放して、子供と遊ばせるがいい。私が子供であった時には、遊ぶ所が無くて小橋で貝を掘ったり、横掘のストリート婆を竹でつつき出したりした。だから、こういう碌《ろく》で無しになったのだ。

  雨

 私は、とうとう大阪を歩かなかった。これは、題名にも反《そむ》くし、私自身の意志にも反く訳であるが、歩こうとする今日九日の日が、雨になった。そして、翌日には、私は、東京へ戻らなくてはならぬ用がある。十一日には放送があるからだ。
 何うも私は女より雨の方が少しばかり嫌いだ。愛人と温泉宿にでも居る時には、そうした雨も決して悪くないであろうが(ここで、あろうがと疑問を残しておいたのは、そうした経験が一遍も私にはないからである。あればきっと私の小説に出ているだろう)、傘という――少し風が強いと何の為にさしているのか判らないような物をさして高下駄をはいて、この寒いのに――(実際、私は、五尺五寸六七分あるから、三寸の高下駄を履くと、五尺八寸以上になる。こんな高い風景は、ビルディングの外、賞玩に価しない。大阪の女の、背の低い限りに於ては――)。
 それに――私は、大阪の、何処を歩けばいいか? 私がエトランゼエなら、天王寺から、天満天神、大阪城、文楽座――と、歩くであろうが、私は、もう少し、特異な大阪を――大阪の玄人としての、大阪を知っている。例えば、清水橋筋には、小泉とかいた金行燈のかかった一軒の旧家がある。多分この家は、主人と共に、古い大阪を語るにちがいない。又、唐物町の鳥清は、鳥屋から、長崎料理になるまで、八年間考えていた。それは料理の研究ではなく、古い鳥屋が、長崎料理に化ける可否という事について、親族も、考えてくれていたからである。
 それから、又、私は、堀江の「すまんだ」へ行ってみてもいいし、新町橋の四つ目屋へ、買物をしに行ってもいい(これは、いい土産になる)。或は又、京都の、肥後ずいきより、大阪のそれの方が、何んなに、文化的であるか(私が、こういう事を書いたからとて、直に、私の品性を評されては困る。エロ時代だから、大衆作家らしくこうした品物まで研究していると、一寸、向学心を広告したまでで、決して、私が、机の抽出へ入れている訳ではない。第一、私は、机をもっていないのだから)。或は又芝居裏の女郎がいかに「洋食弁当」を好くか? そして、
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