相馬の仇討
直木三十五
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)九郎右衛門|後《のち》に講釈師となる
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)九郎右衛門|後《のち》に講釈師となる
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一
「軍右衛門、廉直にして」、「九郎右衛門|後《のち》に講釈師となる」
廉直などと云う形容詞で書かれる男は大抵堅すぎて女にすかれない。武士であって後に講釈師にでも成ろうという心掛けの男、こんなのは浮気な女に時々すかれる。
そこで、軍右衛門の女房は浮気者であったらしく、別腹の弟九郎右衛門といい仲に成ってしまった。寛延二年の暮の話である。翌年の三月、とっくから人の口にはのぼって独り「廉直なる」軍右衛門のみが知らなかったものが、薄々気づき出したようだから、二人はいくらかの金をもって逃出してしまった。
どうせこういう二人が、少々位の金で暮らして行けよう訳が無い。
「どうやら兄貴め、ここに居るのに気がついたらしいぜ。中国へ出ようたって路銀は無し、どうだやっつけようか? ええ、未練があるかい」
「あの人を殺す?」
「あっちを殺さなけりゃ、こっちが殺されるさ。毒食や皿さ、それともまだ思出す時があるのかい」
「思出しやしないけど」
「じゃいいじゃ無いか」
どうせ二人ともそう気の利いた会話などしっこない。こんな事を話して機《おり》をまつ。九郎右衛門衛の腹では、うまく行ったら金もさらってと――四月六日の夜、闇。袷《あわせ》一枚に刀一本、黒の風呂敷、紋も名も入ってないやつで頬冠り、跣足《はだし》のまま塀を乗越えて忍び込んだ。床下から勝手の揚板を上げて居間へ、廊下から障子へ穴をあけて窺うと行灯《あんどん》を枕元に眠入っているから、そろりそろり。畳を踏んで目を醒ましてはと、真向に振冠った刀、敷居の上から、一歩踏出すや打下す。傷は深くないが脳震盪《のうしんとう》を起すから双手を延してぶるぶると震わしたまま、頭を枕から外して、ぐったりと横へ倒れた。暫く様子を窺ってから、近寄ってみるとこと切れているらしい。違棚《ちがいだな》の上の手箱を開けて、探すと金がない。斬るのはうまく行ったが、斬ったらあの手箱からと考えていたのが外れたから、彼処《かしこ》か此処《ここ》かと探すが、こうなると気がせく。薄気味も悪い。小箪笥《こだんす》、と手をかけてぐっと引く。軽い所へ、錠がかかって居たからかたかたと音を立てたが、それと共に、
「誰だ」
という家来中川十内の声、刀を取直して壁へぴったり背をつける。
「旦那様?」
暫く声がしなかったと思うと、次の室《へや》の襖の開く音。九郎右衛門一大事と、そろそろと横に歩みつつ廊下へ出て雨戸を開こうとする時、
「おっ――曲者《くせもの》っ」
どんと身体《からだ》を雨戸へ当てて、庭へ飛降りる。戸の上へ転ぶ、そのはずみ刀を雨戸へ突刺してしまったが、抜取るひまがない。両手の空いたのを幸、塀を掻昇って一目散に逃げてしまった。
二
十内、齢十七歳、捨ててあった刀を証拠に森の城主――豊後国――久留島《くるしま》信濃守《しなののかみ》光通《みつのぶ》に敵討願いを軍右衛門が一子六歳になる清十郎と連署で願出た。
「奇特の志《こころざし》天晴れである。軍右衛門、妻を奪われ、抜きも合さず姦夫の為に殺害せらるる段、年寄役ともあろう者として不届至極、本来ならば跡目断絶させるべき所、其方《そのほう》の志にめで、又家中の旧家の故を以って、特に清十郎にそのまま恩禄を下しおこう。又敵討の儀は清十郎十五歳に成長するまで待って討つ方がよかろう。それまで其方ともによく剣道を学んでおけ」
と重役からの沙汰があった。清十郎六歳だから九年ある。柚《ゆず》は九年の花盛りと、ずい分長いが、十内乗りかかった船である。何も判らぬ清十郎に、
「坊っちゃん、これが敵九郎右衛門で御座いますよ。さあしっかり、まだまだ」
と、藁《わら》人形の据物斬《すえものぎり》、立木を打つ斬込の練習、宝暦九年まで隣近所で称《ほ》めぬ者の無い位必死の稽古を試みた。
十内の弟に弥五郎というのがある。これと三人、落ち行く先は九州|佐柄《さがら》を逆に、博多《はかた》へ出て、広島、岡山、大阪と探ねてきた。多少の路銀はあるが、京大阪で判らぬとすれば次は江戸だ、出来るだけの節倹をしていたがだんだん心細くなったから当時江戸で流行《はや》っていた「旦那の練った膏薬《こうやく》」と云う行商人、大声に流しつつ、江戸中心当りを求めたが居ない。宝暦十二年の春、ふとした事から豊後訛《ぶんごなまり》のある浪人が仙台で紙子揉《かみこも》みをしていたが、女房と何か争った末、女房を足蹴にしたのが基で死なしてしまった――今どうしているか、多分そのまま居やしないか、と云う話を聞い
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