宿へ、どんどんと梯子を踏鳴して飛んで上ってきた。
「一寸表へ」
「見つかったか?」
と、云ったが荷から取出す脇差。顔色が変る。
「何処《どこ》だ」
目で知らせる無言の二人。
「弥五郎待っていろ」
と、不審がって見送っている女中をあとに寄席へきてみると、川中島の大合戦、外まで洩れてくる。
「さっと吹払う朝風に、霧晴れやったる、川中島を見渡せば、天よりや降ったりけん。地よりや湧きたりけん。大根の打懸纏《うちかけまと》いを押立てて一手の軍の寄せ来たるは、これぞ越後名代の勇将甘粕備前守と知られたり」
木戸番うつむいて煙草ばかり喫っている。
「へイ、有難う」
木札二枚、とんと置く奴を引つかんで、
「札を頂きます」
無言で渡して、そっと暖簾の外から盗見する。
「どうか御入りなすって」
と、云ったが聞えない。聞えたが、聞えたきりで耳を抜けてしまった。
「もし申し兼ねますが、一寸どうか。へイ、其処は入口で御座いますので」
「ああ、いや御免」
ぷいと出てしまう。
四
喜遊次が高座を降りて、楽屋――と云っても書割のうしろで坐る所も無い。碌に削りもしない白木を打交《うちちが》えた腰掛が二つばかり、腰を下して渋茶をすすっていると、
「喜遊次とは御前か」
と背後《うしろ》からぴったり左手へ寄りそって立った男。田舎の同心だけは知っている。右手へ立つと抜討というやつを食うが、左手へ立つとそいつが利かない。
「ヘイ、手前」
「一寸外まで」
と、云ったが蓆《むしろ》一枚|撥《はね》ると外だ。四五人が御用提灯を一つ灯して立っているからはっとしたがままよと引かれる。何かのかかり合いだろう。真逆《まさか》露見したのじゃあるまい。と思いながら役宅へつく。
白洲――と云っても自い砂が敷いてあるとは限らない。赤土の庭へ茣蓙《ござ》一枚、
「夜中ながら調べる。その方元佐々木九郎右衛門と申したであろうがな」
さてはと気がついたが逃げはできない。白を切ってその上に又と、
「一向存じません」
役人首を廻して、
「この男に相違ないか」
と云うので、喜遊次ふと横を見ると、篝火《かがりび》の影から、
「確《しか》と相違御座りませぬ。九郎右衛門、よも見忘れまい。中川十内じや」
と、中川十内。奉行又向直って、
「どうじゃ、その方にも見覚えがあろう」
「はっ」
と云ったが、十内が「相
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