た。
十内|雀躍《こおどり》して、清十郎を引ずるように、仙台へ行ってみると、確かにそうらしいが居なくなっている。近所で聞くと、
「器用な性《たち》で、一時手習の師匠もし芝居の手伝いなどしていたが、何んでもそう遠くない所に居るとの話」
と云う。これに力を得て、
「旦那の練った膏薬」
と流しつつ、磐城《いわき》相馬郡《そうまごおり》へ入ってきた。
三
十内、敵の器用な性《たち》を知っているから、もしかとも思うし自分も徒然《つれづれ》のままに寄席へ入った。近頃の寄席だと少し位の徒然では入る気もしなかろうが、昔の寄席は耳学問、早学び、徒然と勉強の二道かけて流行ったものだ。聖代娯楽が民衆と結付いて、活動はさておき、寄席の類さして流行らぬとも思えぬが、それで江戸期に較べるとざっと三分の一は減っているそうである。
相馬原町へきた江戸の講釈師、牧牛舎梅林、可成りの入りだが、今高座で軍記物を読んでいる四十近い、芸名久松喜遊次という男、講釈師より遊人《あそびにん》といった名だから勿論前座だが、締った読み調子、素人染みているにしては――巧いというのだろう。
「頃は何時《いつ》なんめり、天正二十三年十一月、上杉弾正|大弼《だいひつ》輝虎入道謙信に置かせられましては、越後春日城には留守居として長尾越前守景政を残し、選《え》りに選ったる精兵一万八千騎を引率なし、勝利を八幡に祈って勢揃を為《な》し、どんと打込む大太鼓、エイエイエイと武者押しは一鼓六足の足並なり、真先立って翻《ひるがえ》る旗は刀八《とうはち》毘沙門の御旗なり。大将謙信におかせられましては、金小実《きんこざね》、萌黄《もえぎ》と白二段分けの腹当に、猩々緋《しょうじょうひ》の陣羽織、金鍬形を打ったる御兜を一天高しと押いただき……」
土間へ、木戸の暖簾《のれん》を頭で分けて一足入れたが、混んでいるから一寸《ちょっと》足を留めて、高座をみるとどっと胸へきた。すっと頭を引込めて、暖簾の間からよく見ると髪も姿《なり》も変っているがそれらしい。
「よく入ってますね」
「へイ」
木戸番という奴は無愛想が多い。
「今の高座のは、武家上りらしいが、そうじゃ無いんですか」
木戸番、じろりと顔を見上げて、
「よく御存じですの、何んでもそんな話でげすよ」
ぷいと出てしまったが、七八間行くと一目散、主人佐々木清十郎の泊って居る
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