ぐったから、京へ向った。
 佐々木兄弟が帰った時、この噂は、これも勿論耳に入るし、お新の証言もあり、とにかく山田をと云う事になった。が、それよりも困る話は、来馬に殺された男の父が、来馬を召捕えようとしているし、当然、理由の無いこの殺人は切腹に価する事であるから、同じ来馬を殺すものなら、武士らしい最後を、――それからお俊が、来馬と事を起して、自分らの面目に関係せぬよう――この際の処置は早い方がいゝ、と。
 又、説く、山田某、お俊が訊ねてくると共に、甚七の来京を知った。
「召捕えてしまえばいゝ。」
 そうして、書状を発して役人に知らせると共に、甚七を呼寄せる手段を講じた。お俊は山田を甚七の所へ、誘出しさえすればいゝと、山越えに雲母阪《きららざか》へかかった。
 甚七は昔の侍姿で待っていた。
「珍しい山田君。」
「いろいろまちがいが有ったそうで迷惑だろう。何処《どこ》へ行く。」
「少し話があるが。」
 いざと云わば一刀にと、甚七、少し長い間をもたしさえすれば十分に取巻けると山田君。
 時に麓からお新が、甚七の後を追うて――その背後《うしろ》より馬上の佐々木
「お新で無いか? 甚七がこの道を行ったと云うがそうか。」
「はい、敵の山田を白状させると今朝程――」
「あの金入はもっておるか――よし、身共の馬に乗れ――何《な》に、気づかいは無い。」
 一鞭《ひとむち》、急阪を馳登《はせのぼ》る一方
「山田、逃れぬぞ。」
 と、詰よると共に、合図の手、こゝに乱闘始まって、とゞ山田は斬られると共に、お俊が手を負う。何れ逃れぬ命と、甚七がお俊を斬って己も咽喉を――。
 そこへ蹄音《ていおん》高く、お新を抱いて馳せつける佐々木
「お新――」
 と、微かに来馬甚七の断末魔、左手にお俊の亡骸《なきがら》を、右に泣きくずれるお新の手をとって、今に残る雲母阪の心中物語。



底本:「昭和のエンタテインメント50篇(上)」文春文庫、文藝春秋
   1989(平成元)年6月10日第1刷
初出:「文藝春秋」文藝春秋
   1926(大正15)年10月
入力:大野晋
校正:山本弘子
2010年4月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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