ということである。また、彼が運搬自在の郵便箱を発明して、それを静かな郊外の辻に立て、よその人が為替などを投函するのを失敬したということも確かである。終りに、彼は驚くべき軽業師として知られていた。彼の巨大な体躯にもかかわらず、彼は蟋蟀《こおろぎ》のように飛び、また猿《ましら》のように樹上に消え失せることが出来たのだ。それゆえ、かの大ヴァランタンがフランボー捜索にかかった時にも、たとえ彼を発見しても、それで、この冒険が片づくまいという事には充分気づいていたのだった。
しかし、いかにして彼はフランボーを発見したものだろうか? この点では、大ヴァランタンの考えも、なお決定してはいなかった。
だが、いかにフランボーが変装に妙を得ていても、ごまかすことの出来ない点があった。それは彼のずば抜けた身長だった。もしヴァランタンの機敏な眼が、丈《せい》の高い林檎売の女であれ、また長身な衛兵であれ、またたとえそれがたよやかな公爵夫人であったにしても、彼はきっとその場を去らせず逮捕したに違いない。しかし、彼がハーウィッチから乗り込んでこの方、麒麟が化けた猫を見出せなかった如く、フランボーが変装したと覚しい何物も目につかなかった。船中の人々についてはすっかり得心が行っていたし、ハーウィッチから乗り込んだ人も、途中から乗り込んだ人もすっかりで六人きりということはたしかだった。終点まで行《ゆ》くつもりの、小柄な鉄道官吏、二つあとの停車場でのった三人のかなり小さい市場商人、それから小さいエセックスの町から乗り込んだこれも小柄な寡婦、最後にもう一人エセックス州の小さい村駅《そんえき》で乗り込んだローマン・カトリク教の僧侶。最後の場合には、ヴァランタンはあきれ返って、もう少しで笑い出すところであった。その小さい僧侶は、東方人の平民の代表とも言うべきもので、ノーフォークの団子のように円くて鈍感な顔をして、その両眼は北海のように空っぽだった。しかも彼が持っている数個の茶色の紙包みを荷厄介《にやくかい》にしていたのだった。聖晩餐大会はきっと、沈滞した田舎から、こうした掘り出された土竜《もぐら》のような、目の見えない、どうにも仕様のない生き物を吸い寄せたのに違いなかった。ヴァランタンは厳しいフランス流の無神論者であり、僧侶に対しては何の愛着も感じなかった。しかし、彼は彼等を憐んではいたのだ。そしてこの僧侶の如きものを見ては、誰だって憐れまずにはいられないだろう。この僧侶は大きな、薄汚ない洋傘《こうもり》を持っていて、しかもそれをしょっちゅう床に倒していた。彼は、自分の持っている往復切符のどちらが往《ゆ》きのか復《かえ》りのかさえもわからないらしかった。彼は車内の誰れ彼れに、おめでたい単純さで、自分は注意しなくってはいけない。なぜなら『青玉《サファイヤ》付き』の純銀製の品物を、茶色の包の中に持っているんだからと説明していた。聖者のような単純さを持ったエセックスの心安い土地風な彼の奇妙な人となりは、フランス人を絶えず楽しませていたが、やがてストラトフォードに着くと、この僧侶は、彼の包を持ち、また洋傘《こうもり》をとりに戻った。その時、ヴァランタンは、親切に、あの銀器の事を不注意に言わないようにと注意した。が、ヴァランタンは誰に向って話しているにしても、その眼はつねに誰か他のものを見守っていた。彼はじっと、富めるものでも、貧しいものでも、男でも女でも、およそ六|呎《フィート》たっぷりあろうと思われる人を見つめていた。なぜなら、フランボーはその上六|吋《インチ》ばかり大きかったのだから。
彼はリバプール街で下車した。ここまでは彼は犯人を見逃すようなことはなかったと確信していた。彼はそこでロンドン警視庁へ行って、自分の身分を証明し、いつ何時でも応援してもらえるように手続をした。それからおもむろに巻煙草をつけると、ロンドン市中をぶらつきに出かけて行った。彼がヴィクトリア街の向うの街や広場を歩いていた時、ヴァランタンは突然足をとめた。そこは古風な、静寂な言わばロンドン生粋の場所とも言うべきところで、何か事ありげな静けさがみなぎっていた。その周囲の高い単調な家々は、繁昌しているかとも見え、また住む人もない家かとも見えた。中央にある広場の灌木林は、太平洋上の緑の孤島の如く人気もなかった。四周《まわり》の一方は、他の三方よりもはるかに高くなって、上座という感じがした。そしてこの一列の建物は、ロンドンの讃嘆すべき出来事のために破られていた。――すなわち貧乏な外国人相手の安料理屋を尻目にかけたような一軒の料理屋があったのだ。それはまったくなぜとはなく注意をひくものだった。鉢植えのひくい樹木があり、レモン色と白のだんだらの窓かけがさがっていた。それはその道路面から特に高く建てられていた。そ
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