の如きものを見ては、誰だって憐れまずにはいられないだろう。この僧侶は大きな、薄汚ない洋傘《こうもり》を持っていて、しかもそれをしょっちゅう床に倒していた。彼は、自分の持っている往復切符のどちらが往《ゆ》きのか復《かえ》りのかさえもわからないらしかった。彼は車内の誰れ彼れに、おめでたい単純さで、自分は注意しなくってはいけない。なぜなら『青玉《サファイヤ》付き』の純銀製の品物を、茶色の包の中に持っているんだからと説明していた。聖者のような単純さを持ったエセックスの心安い土地風な彼の奇妙な人となりは、フランス人を絶えず楽しませていたが、やがてストラトフォードに着くと、この僧侶は、彼の包を持ち、また洋傘《こうもり》をとりに戻った。その時、ヴァランタンは、親切に、あの銀器の事を不注意に言わないようにと注意した。が、ヴァランタンは誰に向って話しているにしても、その眼はつねに誰か他のものを見守っていた。彼はじっと、富めるものでも、貧しいものでも、男でも女でも、およそ六|呎《フィート》たっぷりあろうと思われる人を見つめていた。なぜなら、フランボーはその上六|吋《インチ》ばかり大きかったのだから。
 彼はリバプール街で下車した。ここまでは彼は犯人を見逃すようなことはなかったと確信していた。彼はそこでロンドン警視庁へ行って、自分の身分を証明し、いつ何時でも応援してもらえるように手続をした。それからおもむろに巻煙草をつけると、ロンドン市中をぶらつきに出かけて行った。彼がヴィクトリア街の向うの街や広場を歩いていた時、ヴァランタンは突然足をとめた。そこは古風な、静寂な言わばロンドン生粋の場所とも言うべきところで、何か事ありげな静けさがみなぎっていた。その周囲の高い単調な家々は、繁昌しているかとも見え、また住む人もない家かとも見えた。中央にある広場の灌木林は、太平洋上の緑の孤島の如く人気もなかった。四周《まわり》の一方は、他の三方よりもはるかに高くなって、上座という感じがした。そしてこの一列の建物は、ロンドンの讃嘆すべき出来事のために破られていた。――すなわち貧乏な外国人相手の安料理屋を尻目にかけたような一軒の料理屋があったのだ。それはまったくなぜとはなく注意をひくものだった。鉢植えのひくい樹木があり、レモン色と白のだんだらの窓かけがさがっていた。それはその道路面から特に高く建てられていた。そ
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