前へ立った。
「ほんに、胴忘《どうわす》れをしておりまして――先刻二人連れのお侍衆が、お見えになりまして、是非お目にかかりたいと――」
「何んな? 何と申す」
「昵懇《じっこん》な方らしゅう、それでお邸をお教え申しておきましたが――」
「そうか、手柄話でも、聞きたいのであろうかな」
「左様で、御座んしょ」
 水茶屋の前へ、酔った侍が四人脚を縺《もつ》れさせて寄ってきた。
「よい、御機嫌で――」
 と、女達は、寄り添うて、中へ案内をしてきた。士は、[#「士は、」の後は、底本では改行1字下げ]お歌の側を通りかかって
「お歌」
 と、叫んで、その側の右源太を見ると
「やややや」
 といった。そして後ろへ退《しさ》りながら
「これは、これは、女狩右源太殿」
 と、頭を下げた。右源太は、一寸、眉を険しくしたが
「いや、お揃いで――」
 お歌が立って
「さ、あちらの、すいた所へ、御案内仕りましょう」
「いや、すいた所は、ここにある」
 一人が、お歌の手をとって、そして
「片手に大作、片手にお歌、果報者だよ、源太さん。うわっ、こ奴」
 と、叫んで、お歌を、抱きしめようとした。お歌が、逃げたので
「お羨ましいことで御座る、右源太殿」
 右源太の左右へ、腰掛を響かせて、坐ると
「手前へ、あやかりとう御座るが――お流れさえ。――」
 と、頭を下げて、両手を出した。
「ここは、水茶屋で、酒が無いゆえ、桜湯を」
「け、けちなことを申されずに、ここを、こう参ると、亀清と申す割烹店が御座る。ほ、両国へきて、亀清を知らん仁でもあるまい。それでは、お歌が惚れぬ。お歌、案内せい、案内、亀清へ」
 士は、酔っていた。右源太は、処置に困って、お歌を見ると、お歌は、眉をひそめながら、手で、追出せと、合図をした。
(連れ立って出たなら、亀清へ、無理矢理にも、この勢いなら、連れて行くであろうが、金が――あるか? 無いか?)
 右源太は、お歌の前で、みすぼらしい懐を見せたくはなかった。だが、足りない物は、何うしようも無かった。
「とにかく、ここを出て――」
 と、立上ると、一人が、袖を押えて
「さあ、亀清へ――さあ、亀清へ、犬も歩けば、棒に当ると申して、当時、江戸第一の出世男――」
 と、いって、往来へ、大声で
「これが、相馬大作を召捕った、女狩右源太じゃ。近うよって拝見せい。面は拙うても、運慶の作、そうら笑っ
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