出て行った。
(そうだ)
 右源太は、空腹を忘れてしまった。
「旦那様」
 婆の差出した盆の上の飯を手に取ったが、すぐ、側へおいて
「勘定」
 と叫んだ。
「御飯を、旦那様」
「いらん、早く勘定を」
「何が、お気に障《さわ》りましたで御座いましょうか――」
 爺が、そういいながら、いくつも穴の並んだ、土竈の角を廻って出てきた。
「いいや、いいや、一寸、急ぎの用を思い出したゆえ」
「それなら――ああ、心配致しました。この婆め、頓間《とんま》で、いつも――」
「おやおやおや、自分のもうろくを棚へ上げて、人を頓間などと――」
「勘定を早くと申すに」
「はい、はい」
 爺は、周章《あわ》てて、引込んだが
「十二文で御座ります。御粗末様で」
 右源太は、腰の巾着から小銭を出して、ばらばら腰掛けへ落して、編笠を掴むと、小走りに出てしまった。

    十五

(悪いこと――そうだ、悪いことにちがいない、然し、止むを得ないことだ。俺を助けるのは、彼奴《かやつ》を斬るより外に道がないのだ――全く、よく似ている。彼奴を斬って、首にし、これなら、誰でも、大作の首にちがいない、というだろう――そして、よし、大作がまた現われたなら?――いいや、越中守を殺した大作が、のこのこ現れよう道理がない。いくら、大胆不敵の奴でも、命は惜しいにちがいない。が、もし、現れたなら?――)
 右源太は、行手に、小さく、黒い挟箱を担いで行く小者を、じっと見つめながら、刀を押えて、小走りに、急いでいた。
(現れたなら?――俺は、大作をよくは知らぬが、大作と信じて討取ったのだ、といえばいい。あれ位似ておれば、間違うのも、無理は無いと、誰でも思うだろう。だが――何うして討ったかと聞かれたら?――それは、尋常では討てんから、計《はかりごと》にかけた、と、いえばいい、そうだっ)
 右源太は、微笑して、後方を振向いた。人影が無かった。
(恰度《ちょうど》いい場所だ。村にも遠いし、人もいないし――彼奴は可哀そうだが――今、もし、彼奴を討って江戸へ戻らなかったら、俺が人から可哀そうがられるだけだ。人から、可哀そうに思われたって、俺には、何んにもなりゃしない。彼奴か、俺か、この世の中に、どっちか、可哀そうな奴が一つできるようになっているのだ)
 右源太は、足踏みして、草鞋の紐の固いのを試し、鯉口を切って、襷《たすき》を取出すと、
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