の附人ってのが七八十人もいたが、一人も斬られずに、無事にお前さん上野を討取ってきたってのだから、何んと、凄い腕じゃ御座んせんか――ねえ、貴下」
「全く――」
「然もさ、その四十七人の中にゃあ、お前さん何んとかって、下郎が入っているって話ですぜ」
 吉右衛門は、はっとした。そして、小さくなって、湯槽《ゆぶね》の隅へ入った。朧気《おぼろげ》に、四人の男の影が見えていた。
「年二両しか貰わねえのに、命をすてて尽そうってんだから、こいつが、先ず、忠義の大将だね」
「大将は誰だ」
「大石って、国家老だってことだ」
「ふうん、どっしりして、大将みたいな名だのう。四十七人って、本当に、四十七人なのかい」
「吉良の邸の玄関に、ちゃんと、討入の口上と名を書いたのとが残っているんだ。江戸じゃあ、もう瓦版が出て、姓名から、石高まで判ってるそうだ。明日になりゃあ、判るだろう。それとも、遅く着く人が、持っているかも知れねえ」
「吉良《きら》れ上野、首無しの段、あわわわわ、話をして、うだっちまった。頭がふらふらすらあ」
 一人が、勢いよく、湯をはねて飛出した。そして、吉右衛門に
「御免よ」
 と、声をかけて
「貴下、瓦版を、お持ちじゃ無いかな」
「持っちゃいませんが、少しは、知っていますよ」
「知ってなさるか。ふうん、大石、何んて方ですえ、大将は?」
「大石内蔵之助良雄――」
「そうそう、そうだ、そうだ。大石内蔵之助良雄ってんだ」
「それから、忠義の下郎は?」
「下郎?――下郎は――寺坂」
「ふうん、寺坂裏之助良雄か。成る程、いい名だ。しっかりした下郎らしい名だ。それから――」
 四人が、吉右衛門の周囲へ集ってきた。吉右衛門は、手拭で、顔ばかり拭いていた。

    六

 吉右衛門は、江戸へ引返してきた。宿でも湯屋でも、髪結床でも、討入の話ばかりであった。瓦版の読売屋は、次々に、新らしく聞いた材料、創り上げた話を刷出して、町中を呼んで歩いていた。
「番町の、堀内源太左衛門正春先生のところでは、門人から、六人まで、義士を出したって、今日、大酒盛だって――」
「そうだろうな。嬉しいだろうよ」
 髪結床で、小者が、話をしていた。吉右衛門は、髪をすかせながら、眼を閉じて聞いていた。
「あの、寺坂吉右衛門って、仲間《ちゅうげん》は、お前、何《ど》うおもう?」
「えらいじゃねえか」
「手前たあ、ちっとばかしちがうの」
「何を――手前なんぞ、安夜鷹ばかり買やがって、討入と聞いたら、腰の抜ける方だろう」
「何うだ」
「ちげえねえ。所で、その寺坂め、泉岳寺の人数の中にゃ、いないんだってのう」
「そこが、遠慮――何んとかってんだ。国許へ知らせの役に、行ったんだろうって、邸の御用人が仰しゃってたが、そうだろうよ。下郎は士じゃねえから、お上でも大目に見らあな。それに、侍が一人いなくなったといや、命を惜しんでと噂されるだろうし、誰も国許へなど行く人は無いだろう。何んしろ、えらい人ばかりだからのう、そこで、寺坂、頼むってなことになって――お前、生残って寺坂で御座い、品川へでも行きゃあ、女にもてるぜ」
「ところが、そんな奴に限って、余り男振りはよくねえにきまってらあ」
「手前の面あ、何んだ。よく、鏡を見て、熱を出さねえのう」
「お前なあまた、化物がびっくりしたって面だ。河岸のお玉がぬかしてたぞ。甚内の面を見ると、ぶるぶるとするって」
「へん、ぶるぶると。嬉しがるんだ。このとんちき」
「一生、とんちきかなあ。俺でも、お前、主人が殺されりゃあ、討入に行くぜ」
「夜鷹の所へか」
「本当に、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]と思や、殺してみな。人間、男と生れたからにゃ、末代まで名を残してえや、瓦版になって、鈴木金作、本所の仇討、さあ上下二冊揃って十文、女が喜んで、妾も殺されたいよう――」
「よしやがれ、それで、敵が討てるけえ」
「これが、敵を欺く計画だ」
「同じ下郎でも大ちげえだ。なあ、海老床」
 床屋の主人が、髭を剃りながら
「俺ら一生、人の頭をいじって、お飯《まんま》を頂戴しなくっちゃならんし、人間さまざまだ。寺坂なんて人あ、百年に一人だ、羨むにゃあ当らねえ」
「そうだそうだ、下郎は下郎らしく、身分相応にしてりゃいいんだ」
「お玉を、嬶《かかあ》にしようなんて、諦めろよ」
 吉右衛門は
(俺が、門前から、消えてしまったことを、誰か、喋《しゃべ》るかしら?――喋るだろうな――いいや、もしかしたなら、喋らんかもしれん。太夫は喋るまい。第一に俺は下郎だ。士分の奴でさえ、間際に、逃出した者が、四五人もいるんだ。何が卑怯なもんか。喋らないとすれば――一思案だ――国へ、討入の顛末《てんまつ》を知らせるため、一人抜けて出た? 成る程うまい口実だ――もし、皆が助命されたとしたなら? 何うせ、役に立たんから、討入を見届けて、国許へ知らせに参りました、と、こういってもいいし、もし、皆が切腹か、打首にでも成ったなら、しめたものだ。誰が、何をいおうと、俺の口先一つで何んとでもなる。ちゃんと、名の入っている書付が、お上の手にあるんだからな――助命か、切腹か。それを見届けてから国へ走るか? 先に走るか?)
 寺坂は、自分を、同志の中へ加えたくなってきた。
(四十六人、皆無事だ。そうと知ったなら、討入っておくのだった。いいや、討入っていたなら、一緒に、切腹かもしれん――誰も、あの時、俺の逃げるのを見てはいなかったんだ。口実は、何んとでもつく――よし、俺は、仲間へ入ってやろう。入れることにしてやろう。そうでもしなけりゃ、埋合せがつかん。人を、虫けらみたいにしやがって、その虫けらが、一番いい籤《くじ》を引きそうだ)
 吉右衛門は、明るい心になって、微笑していた。

    七

「まあ、吉右衛門――何うしたえ、上るがよい、さ」
 と、玄関へ、出てきた、大石の妻が、嬉しそうにいった。
「未だ、お知らせは?」
「何の?」
「首尾よく、吉良を、お討取りになりまして御座ります、これが、その――」
「ええ? 吉良上野を――」
 吉右衛門は、瓦版を、三通取出して
「所々、字がまちがっておりますが、太夫様、以下四十七人、一人残らず無事で――」
 妻は、薄く涙をためて、蒼白《あおざ》めた顔になっていた。吉右衛門は
(俺の逃げたことがばれても、一番先に、こうして知らせておけば、罪亡ぼしになる)
 と、思った。
「お前も、この中へ入っていなさるのう」
「いいえ、手前は、ほんのお供で――」
「詳しい話を聞きましょう、さ、上って――これ、すすぎを早う」
「いいえ、これから、華岳寺へ参りまして、また江戸へ」
「江戸へ?」
「何う処置がきまりますか、皆様の御先途を見届けたいと、存じまして」
「それにしても、一寸上って、そして、主税は、働きましたかえ」
「ええ」
 吉右衛門は、頷いて
「何んしろ、皆様御無事で、こんな目出度いことは御座りませぬ。江戸は、もうこの噂で持切りで、日本一の忠義の士だと、奥様、追々、ここへも知れて参りましょう。随分、御苦労を為さいましたが――」
 吉右衛門は、そういいながら
(この人も、下郎も、丁度同じだ。どっちも、人間扱いにされずに――そして、されなかったから、一番いい籤を引くことになるんだ。妙な廻り合せになるものだな、人間っていう奴は――)
 と、思っていた。いつの間にか、妻は、手を突いて、顔を伏せて、袖で涙をぬぐっていた。それを見ていると、吉右衛門は、何故か、自分も、悲しくなってきた。

    八

「吉右衛門、切腹と、きまった」
 と、いって、方丈が、入ってきた。
「はい」
「今、知らせが入ったからと、使がきた。お経でも、上げよう」
 方丈が、そういっていると、村の庄屋の声で
「これを一つ吉右衛門さんに」
 と、庫裡で、いっているのが聞えた。
「切腹に、な」
 吉右衛門は首垂《うなだ》れてしまった。
「吉右衛門、短慮を起すでないぞ。この上は諸士の後生を、よく弔うのが、何よりの務じゃ。追腹《おいばら》切ろうより、何をしようより、弔って上げなさい。他人の百遍の念仏より、お前の一度の念仏の方がよい功徳になる」
 吉右衛門は心の中で
(これで、安心した)
 と、すっかり、落ちつくと共に
(何んだか、済まんような)
 とも、感じた。
(俺のことは喋っていないだろう。喋ったって、対手は死んだのだし、俺は生きているんだ、他の奴が、何をいったって、太夫が、人に話さずに、俺にだけ話をして、国許の女房へ知らせてくれと、いっておられたから、といえば、それでいいんだ――だが、切腹ときまれば、俺の名も連ねてある以上、俺へのお咎めは――)
 そう思うと、不安になってきた。
「さあ、吉右衛門、同道しよう」
「手前――」
「何か、吉右衛門、短気なことをしたなら」
「いいえ、これから、江戸へ参って、後始末をすることが御座ります。太夫と二人で、話をしておきましたことで。只今から、すぐ出立して――」
「そんな――それは余り――」
「いえ」
 吉右衛門は、立上った。
「それでは止めもせんが――行ったり、来たり遠い所を」
「すぐ戻って参ります」
「頼む、この村の名誉だでのう」
 吉右衛門は、小さい行李から脚絆を出して当てながら
(これで、咎めさえ無いときまったなら、俺のものだ。村の奴らあ、家まで建ててやるといってくれるし、忠義無類の下郎には成るし――そうだ。士分では無いし、討入には、ついて行ったが、門も入らないのだから、罪にはなるまい。徒党を組んだ罪――そうだ、そいつがある。とにかく、俺を召捕るか、捕らぬか、噂を聞いて――金はあるし――旅へ出て噂を聞いた上での、分別と――)
 吉右衛門は、支度をして、立上った。
「何処へ、今時分から」
 と、村の人が、声をかけた。
「江戸へ行って参ります」
 吉右衛門は、丁寧に答えて、お叩頭《じぎ》をした。
「まあ」
 村の人々は、それ以上に、物をいわなかった。
(この村の人を丸めるのは訳は無いが、江戸の役人は、俺の逃げたのを聞いているだろう。逃げたから? 罪にはならんか? 逃げたことが奉行所から、江戸中へ洩れているか?――今度、江戸へ行っての噂が、俺の運命をきめるんだ――余り称《ほ》められすぎているから、逃げたことが洩れた時、その逆がきたなら?――いいや、俺は生きている。物が書ける。何んなことをいっておいた所で、何もかも知っているんだから、俺から、何んとでも、弁解することが出来る。心配することはない。士分が、切腹だから、俺は切腹せんでいい。切腹でない?――そうだ、江戸お構い――その辺の所だ。そうだ)
 吉右衛門は、一切が、明らかになったように思えた。微笑しながら、早足に、江戸の方角へ歩み出した。
(義士、寺坂吉右衛門――俺を、散々下郎扱いにしたが、そいつらが、四十六人で、俺を一番幸福な人間にしてくれたんだ。だから、義士だ。あはははは。そうだ。俺にとってこそ、本当の義士だ)
 吉右衛門は、声を立てて笑った。

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この一篇は、作者の空想では無い。寺坂吉右衛門が、討入当夜、逃亡したということは、明らかな事実であるが、俗説として四十七人の中へ加えられているのである。簡単に、その証拠を、拠《あ》げるが、徳富蘇峰氏の「近世日本国民史」元禄時代中篇、三百十一頁に「寺坂の使命と称すべきものは一も是れない。さらばその仔細といふは到底不可解だ。併し、強ひてその解釈を求むれば、彼の仔細は、毛利小平太の仔細と同一だ、即ち臆病風に襲はれて、一命が惜しき許《ばか》りに逃亡したといふことだ」
その外、いろいろの信ずべき書に出ているが、詳しく書く必要は、ないとおもう。
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底本:「直木三十五作品集」文藝春秋
   1989(平成元)年2月15日第1刷発行
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:鈴木厚司
2006年10月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校
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