五六町上の村まで買いに行くのであるが、藁で縛ってくれる。持って帰ってもこわれないから、えらい豆腐だったと、今でも感心している。
同僚は、前からいるし、私は新参だし、お菜は作るのが上手だし、炊事番は大抵私であった。時々、鹿の肉を売りにくるのと、魚屋が鮫の半干魚をもってくる位で、大抵、菜っ葉と、芋と、豆腐。この生活が八ヶ月つづいた。
所が、この学校へ勤めるという事を、その雪ちゃんに話したところ
「淋し」
と、いうのである。
「日曜日に帰ったらええやろ」
「そんならうれしい」
そこで、学校が土曜になると、山の上から三里半五条の町へ走るのである。
丁度、それで汽車に間に合って、大阪着が八時、月曜の朝早く家を出ると、学校の授業に一時間おくれてつく。その一時間は、唱歌の時間にして、時間表を変更し、同僚に頼んでおくのである。
十一円五十銭であるが、初めての月給だし私にとっては大金なんだから、嬉しかった。家は無家賃、芋や、菜は、生徒がくれるから、一ヶ月五円もあれば十分である。残りが小遣になるから、雪ちゃんに、その頃|流行《はや》っていたリボンを買ったり――リボンと、週一度の汽車の往復、私は
前へ
次へ
全90ページ中48ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング