位、筋の通った着物を着ていたのは、少かったであろう。だから貧乏に見えぬのは当り前である。
 それに、須磨子が、美人で、相当の家の女だから、ちゃんとした姿をしているし、何処から見ても、生活の為に、授業料が納められないとは見えなかったにちがいない。何んしろ、この須磨子は、ハガキ一枚買って来いというと、必ず十枚買ってくる。
「一枚だよ」
「ハガキ一枚なんて買えますか」
 これが、その内、高利貸しの前で、煙草を喫いながら
「お金なんか、廻り持よ」
 と、云うようになるのだから、話もいろいろとおもしろいものがある。
 ハガキ一枚が恥かしくて買えぬ位の女だから、友人がくると、ビール、酒、肴《さかな》、どんどんもてなす。いよいよもって、貧乏人ではない。金が無くなると、私に内証で例の債券を処分していたらしい。私は、生活上に経験があるから
(二十五円で、よくやれるな)
 と、考えていたが、月々十円位ずつは、債券を食っていたのであろう。
 この時分、私の住んでいた家は、今もあるが、私のいた時分には、隣りの大家、村田という大工さんと、二軒きりであった。
 場所は、早大グラウンドの後方で、家賃四円八十銭。八、六、二の三間であった。

    二十八

 何うも、死にそうにない――これは、容易ならぬ事である。
「死までを語る」と題した以上、その時まで書かなくてはならぬが、まだ十年も生きられるとしたなら、私は一体何を書き、編輯者は何うしていいか?
 編輯者は、私がもう死ぬだろうから、書かせてやれ、と考えて、書かせた訳であるか――人を呪うと臍《へそ》二つで、今度は、私が
「こんな雑誌、早くつぶれてしまえ」
 それなら、書かなくていい。
 然し、先月分の本稿を「オール讀物号」の雑文と共に、夜の七時に書上げた時には、三十八度九分の発熱であった。催促にきていた本社の××女史に
「御覧なさい」
 と、その検温器を見せた。××女史は
「はあ、三十八度――九分ございます」
 と、平然としていたが、編輯者なんぞという奴は、命がけで書いていても、この位、面の皮の厚いもので、人を、じりじり殺していながら
「はあ」
 と、すましているのだから――女房になんぞ決してするものではない。
 八年六月二十八日の暑い日、私は、朝から倒れたまま、とうとう起上れなかった。その時には
(この具合だと、よく保って二三年か)
 と、覚
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