ない訳である。
「ええ、よろしい」
とにかく、対手は、六つ齢上の二十七歳、こちらは、童貞の二十一歳であるから、礼を正しく、言葉を丁寧に
「しかし、寝るところが、ここよりほかに、ありませんから」
「そりゃええわ、一緒に寝るわ。藤堂さんと三人でしょう」
「はい」
皆、中学同期の出身であるから、仲がよかった。私は身体が、ふわふわとなったように感じたが、それは、こんな美しい人が、自分のような者を手頼《たよ》って来てくれた、という事に対しての感謝で、劣情などの如きは神様に食わしてしまえと
「布団を、じゃ、借りてきて」
「ええ」
素直に答えたが、この女は私を獲《え》ようとして、大阪から出てきたのである。しかし、何事もなかった。翌日
「市ちゃんとこへ行きましょうか」
「うむ」
そして、二人は、植木屋の離れで、市ちゃんと三人で寝た。
その暁、私は、無残にも、取り返しのつかぬ事を、されてしまったのである。
二十四
「荷物をもってくるから」
と、云って、須磨子は、大阪へ帰ってしまった。私は汚された身を、袴でつつんで、おもしろくない講義を聞きに行っていたが、その内
「家との事が、中々面倒で――あんた、いつ帰る」
と、いう手紙がきた。そして、この手紙の終りに、何んと「旦那様」と、書いてあった。
うれしいような、馬鹿にされたような――こんな言葉は車屋と、乞食の使う言葉で、使われる奴は、五十歳以上というように感じていた私は、その手紙を披《ひろ》げて、にやにや笑いながら
(矢張り、征服したのかな)
とも、感じた。暑中休暇がすぐに来た。大阪へ帰ると
「家から出してくれぬ」
と、ノートの端に走り書をして、使の者に届けさせてきた。
「奥へ入れたっ切りで、兄が見張っている」
二十一の男を、大阪から、いい齢をして、追っかけて行ったのだから、兄玄竜の怒るのも尤もである。だが、私の怒ったのも、又尤もであった。
雨もよいの空、私は、怒りのかたまり見《み》たいになって、須磨子の家の門を押した。ぎぎいと、重い重りが鳴り、鎖ががらがらと響いた中へ入ると、暗い。のぞくと、誰も居ない。
「お須磨さん」
と庫裡へ入って、声をかけると、市次郎の母が出てきて
「何んです」
「お須磨さんは?」
と、聞いた時、兄玄竜が
「来てもろたらいかん」
と、奥から出てきて、廊下へ立ったままで云った。
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