これは予期していたのだから、友人の所を訪ねると
「お別れになった方がいいでしょう。徳子さんは別れると申していますから」
「別れましょう。然し、一度、逢わしてくれませんか」
「妾の手では何うする事もできません。徳子さんのお母さんに、話しておきましょう」
 夜になった。十一月の末だ。大阪までの終電車は、とっくに出てしまって、東明までしか行かぬという。金はぎりぎり電車賃しか無い。東明まで行って、それから先は歩いて、少しでも、明日の朝までに、電車賃を節約しておこうと、歩き出したが、とても寒い。
 歩いたとて、いくら儲かる。それで、夜明けを待とうとしたが、十一月末の吹きっ曝《さら》しに、何うとも成るものではない。
 父が、東京へ行くなら、これを着ろと、古着で買ってきてくれた釣鐘マントの半分の奴を着ていたが、それをかぶって、停留所の中で寝る事にした。線路沿いに行くと、停留所があったが、これが何んと、昼間降りた芦屋の停留所である。
(運命だ)
 と思って、砕け、裂かれた身体を横にしたが、半分のマントでは、足がつつめない。足をつつんだ方がいいだろうと、下へやると、何うして、肩の寒さは、じっとしておれるものでない。
 今度は、マントを縦にして、頭から、足の先まで冠ってみたが、腰掛の板から、夜中の凍気が、しんしんと、身体を刺してくる。とうとう
(畜生、徳子、薄情者)
 と、罵りつつ、それでいて、恋しさに、眠れぬ眼を、見えぬ昼間の家の方へ向けて
(そこにいるなら、徳子、おれが、こんなになっているのを見せてやろうか)
 と、いうような呪《のろい》、愚痴。初めて、家を明けるのであるから、親爺の小言が恐ろしいが、そんな事は、丸で考えないで、悄《しょ》げ、怒り、恨み、寒がって、夜を明かした。
 そして、このままこの恋は終った。期間が短かいし、徳子さんの母親が、クリスチャンで、私の趣味に合わなかったから、諦めがよかった。
 この恋愛事件の最中に、一寸、上京した事があった。これが、最初の上京で、宿は、本郷の元の久米正雄の家へ行く、右側の第二何とか館というのであった。
 この時に、中学入学以来初めての写真をとったが、これも、差押えでなくなってしまった。黒木綿の紋付羽織に、白の長い胸紐、今では、暴力団の外に見られない書生風俗であった。男振りもよかった。

    二十二

 この時の上京は――上京してみ
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