と、子が居ないので、矢張り、私を可愛がってくれた。白葡萄酒をのましてくれたが、私は
(世の中に、こんなうまいものがあるだろうか)
 と、感じた。早稲田を出てからさえ、白葡萄酒だけは、どうかして、一本欠かさず備えておきたい、というのが、人生の希望の、大きい一つであったが、今頃飲むと、一向うまくない。
 食べ物では、今でも、食べたいと思うのは、蒟蒻《こんにゃく》。今の蒟蒻とは、蒟蒻がちがうらしい。もっと、色の黒い、汚い黒い斑点の入った――それが、実にうまかった。例の、夜店の関東|煮《だき》屋の品であるが、これも、すっかり無くなった。水飴、和砂糖――飴は今でもすきであるが、瓶へ入ったとろとろの飴など、食べられない。田舎へ行くと捜すが、もう、田舎にもなくなっている。
 渋川特務曹長が、千日前の見世物というのを、初めて見せてくれた。見せ物などは、他人の見る物だと、看板ばかり見て、決して、中へ入った事のなかった私は――何うだ、第一に「へらへら坊主と、海女」へ入ったのである。
 舞台の前に、水槽があって、その中へ、赤い湯巻一枚の海女が、飛び込んで、中で、踊を踊るのであるが、十か、十一の私には特務曹長の感じるような事は感じない。
(何んだつまらん)
 と、思って眺めていたが、今考えると、惜しいものである。何んだつまらんと思うもう一つの理由は、表看板に、海中で、海女が、蛸や、魚と、格闘している図が描いてあるから、その通りの事をして、見せるのだと考えていたせいもある。それが、全くちがったのだから、失望した。
 この海女の前に、へらへら踊があった。黄色い手拭で、頬冠りをして
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へらへったら、へらへらへ
はらはったら、はらはらは
へらへらへったら、へらへらへ
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 と、唄いながら、坐ったままで、扇を動かしているだけの、智慧の無いものであるが、それが、相当人気があったのだから、大部、今日と、人心がちがう。初めて見ただけに、この印象は、強く残っている。
 その次に見たのは「改良剣舞」、女ばかりで、剣舞の真似と、芝居の真似とをするものであるが、これは、大変、気に入って
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頃は元暦元年の
  どんどん
源平、須磨の、戦いに
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 いつか、放送局で、この節をやったが、私も中々上手である。すっかり、憶えてしまった。
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