た。
フランボーは盲目滅法《めくらめっぽう》に掘った。が、嵐は今までの煙のように山々にまつわりついていた息苦しいような灰色雲を既に払いつくして、彼が荒木造りの棺《かん》を根こそぎ掘出して、芝生の上に引っぱり出させた頃には星影さびしい夕空をからりとのぞかせていた。クレーヴンは手斧を握りしめて前へ進みよった。薊《あざみ》の頭が彼にさわった。またもやはっとした彼は思わずたじたじとなった。がたちまち気を取直して、フランボーに負けぬ力を揮《ふる》いながら、手斧を棺《かん》へ滅多打ちに打ちこんだ。遂に蓋が飛散った。内部にあるほどのものはすべて灰色の星明りの中に異様な薄光りを放っていた。
「骨だ」とクレーヴンが云ったが、彼は次に、「人骨だ」と言い足した。何《な》にか思いがけない物を発見したように思わず大声を上げた。
「それで君、それはそっくりしているかね」とフランボーが妙に沈んだ声で訊ねた。
「さあ、そっくりしている様だが、まあ待ちなさい」探偵は棺《かん》の中に横わる黒ずんだ腐れ骸骨《がいこつ》の上に乗しかかるようにして見ながら嗄《しわが》れ声で云った。たちまちまた彼は、「これは不思議だ、骸骨に首がない」と叫んだ。
クレーヴンもフランボーもしばらくは棒立に立ちすくんでいたが、この時初めて、一大事といわぬばかりに、びっくりして飛上がった。
「何、首がない、へー、首がない」坊さんは元より欠けているものがあるにしても、まさか首ではないだろうと思っていたのに、と云うような意外な調子でこう繰り返した。
たちまち一同の頭には、クレンジール城に首無児《くびなしご》の生れた、もしくは、首無少年が城中に人目を避けている。あるいはまた、首無の大人が城中の昔造りの広間や華麗な庭園内を濶歩しつつある馬鹿らしい光景がパノラマのように過ぎ去った。しかし肝心の眼の前の問題については何の名案も頭には浮んで来ず、また首無の理由があるのやらないのやらさえ考える事が出来なかった。一同はまったくポカン、とした面持で疲れはてた馬か何かの様に、嵐の音や松林のざわめきに、ただ聞きいるばかりであった。
考えるにも考える事が出来なかった。とその時、静かにブラウンが話しだした。
「ここに三人の首無男が発掘された墓をかこんで立っておりますな」とブラウンが云った。青くなった倫敦《ロンドン》探偵は何か物を云おうとして田舎者のように口をアングリさせたままであったが風は遠慮無くピンピンと空をつんざくように叫んだ。やがて彼は自分の手に持つ手斧を、自分のものではないようにながめてはたと落した。
「師父、師父」とフランボーが取っておきの嬰児《あかんぼ》じみたしかし重苦しげな声を叫び出した。「この際吾々はどうすればよいのでしょうか」
するとこれに応じてブラウンは小銃弾が出て行く時のシューッというような怪速度を以て、「眠る事じゃ」と叫んだ。「眠る事じゃ、わし等は路のどんづまりまで来た。眠るとはどう云う事かな。あなたは知っているかな、眠る所の凡ての人は神を信じる人であるということを、故に眠りは聖礼である。なぜならば眠りは信仰の行いであるからじゃ、吾等の糧である。でわし等は今何かしら聖礼を要する。それも自然の聖礼だが、何やら人間の上に滅多には降りて来んものがわし等の上に下《くだ》って来る。おそらくそれは人間の上に下る事の出来る最悪のものでもあろう?」するとクレーヴン探偵の唇が「一体それはどういう意味なんですか」と訊くために上下から寄り添った。
坊さんは城の方に顔を廻しながら答えた。
「わし等は真理を発見はしたのじゃ。がその真理は意味を吾々に語らんのじゃ」
こういって彼は彼としてはごく珍らしい、馬が無鉄砲に飛跳ねるような足取りをしながら、二人の前に立って山を降《くだ》った。そして城へ到着するかしないかに彼は犬のように無雑作に身体《からだ》を眠りにまかせた。
三
妙に勿体をつけて睡眠を讃美したのに拘らず師父ブラウンは唖者のような作男ゴーをのぞいた外《ほか》誰よりも一番早く起出《おきい》でた。そして大きなパイプを吸いながら、その黒人が菜園で無言に働いているのをジッと見守っている彼の姿が見られた。夜の明け放れる頃には夜来の嵐は篠《しの》つくような驟雨《しゅうう》を名残として鳴りをひそめ、ケロリとしたようにすがすがしい朝が一ぱいに訪れていた。作男は坊さんと何か話をしていたような素振りさえ見えたが、官私二人の探偵姿を見ると、俄にプリプリしたように鋤を畝《せ》の中に突込んだ。そして朝飯の事について何やらほざきながら、キャベツ菜の作列《さく》に添って台所の方へ姿を掻き消してしまった。
「あの男は見上げた男ですぞ」ブラウンが口をきいた。「あの男は馬鈴薯をたまげるほど掘るのでな。ただし」と彼は妙に落着いた情深い心になりながら「あの男には欠点もあるのです。いやお互に欠点のないものがどこにあろうかな。すなわち、あの男は畑の畝《せ》を真直《まっすぐ》に掘らん事じゃ。まあ諸君ここを見なさるがいい」
彼はこういって突然ある一点を踏みつけてみせた。「時に私にはどうもあの馬鈴薯が怪しいと思われるのじゃ」
「ヘエなぜです」クレーヴン探偵は、小男《こおとこ》の坊さんが新趣向を提出したのを面白がりながら訊ねてみた。
「どうもあの馬鈴薯が怪しいと云うのは、第一作男のゴー自身を怪しいと想っているからじゃなあ、ゴーは外《ほか》の箇所はきっと掘るが、どうもここだけは変な掘りかたをしている。大方この下には大へん立派な馬鈴薯でも埋まっている事じゃろう」
フランボーは鋤を引抜いて、いきなりザクリとその地点に突込んだ。彼は土塊《どかい》の下に馬鈴薯とは見えずしてむしろ醜怪な円屋根形《まるやねがた》の頭をもった、[#「、」は底本では「。」]蕈《きのこ》のような形をした変なものを掘り出した。がそれは冷たいコチリという音がして鋤の尖《さき》にぶつかって手毬のようにコロコロと転がりさま一同の方へ歯をむき出した。
「グレンジール伯爵様じゃ」とブラウンが悲しげに云った。そして悄然として髑髏《どくろ》を見下ろした。それからしばし彼は黙祷するものの如くであったが、やがてフランボーの手から鋤をとって「さあこうして元の通りに土をかけねばならん」と云いながら頭葢骨《ずがいこつ》を土に深く押やった。やがて彼は小さな身体と大きな頭を地中に棒のように立っている鋤の大きな把手《ハンドル》にもたれさせた。その眼はからっぽで額には幾条《いくすじ》も襞《ひだ》がただしくならんでおった。
「そうじゃ、もしこの最後の怪異の意味さえ合点が出来るものならなあ」
彼はこう独語《ひとりごと》をつぶやきながら、鋤頭《すきがしら》によりかかったまま、教会で祈祷をする時のように両手に額を埋《うず》めた。
空の雲々が銀碧色《ぎんぺきいろ》にかがやき出した。小鳥等は玩具《おもちゃ》のような庭の木々の中でペチャクチャとさえずり合った。その音があまりにやかましいので、まるで木自身が掛合噺《かけあいばなし》をやっているかのようであったが、三人の人物はじっと無言の態《てい》であった。
「やれやれ、もうこれで御放免が願いたいもんだ」とフランボーがたまらなくなってガンガン呶鳴《どな》った。
「この頭とこの世界とはどうもシックリ合わんもうさらばだ。やれ※[#「鼻+(嗅−口)」、第4水準2−94−73]《かぎ》煙草だの、やれ汚《けが》された祈祷だの、やれなんだのだって」
ブラウンは額に八の字を寄せ、いつもに似合わぬ気短《きみじか》になって鋤の柄をバタバタとはたいた。
「とっととやれ」と彼が叫んだ「何もかも火を見るように明白なんだ。嗅煙草も歯車も何《な》にもかもなんだ。今朝眼をさますと同時に解ったんじゃ、そうしてわしは外へ出て来て作男のゴーとも話したんじゃ。どうして、あの男は阿呆で聾《つんぼ》に見せかけているが、なかなか聾や馬鹿どころではない。ところで諸君あの条項書はあのあの通りでキチンと筋が通っている。わしは破れた。
弥撤《みさ》書についてもカン違いをしていたが、あれはあれで穏かなもんじゃ。しかしこの最後の件ですぞ。墓をあばいて人物の頭を盗みおろうというここに確かに穏かならんもんがあると見た。確かにここにばかりは魔法があるようだ。どうもこればかりは嗅煙草や蝋燭というたようなわけのない話とは筋が違うようじゃ」
こういって彼はコツコツ歩きまわりながら不機嫌そうに煙草をすった。
「皆の衆」とフランボーがわざと勿体らしく云った。「諸君俺に注意するがよい、俺が昔は犯罪家だった事を忘れぬがよい。あの時分は実に面白かった。俺は自分でズンズン話の筋道を組立ててズンズン想いのままに実行したもんだ。その俺だ、こんなのらくらした探偵事件は仏蘭西《フランス》ッ児《こ》の俺に堪え得る事ではない。俺はオギャアといって、この世に生れて以来、善悪ともに片端《かたっぱし》から手ッ取り早くかたづけたものだ。決闘の約束をするにしても翌《あく》る朝は必ずチャンバラやったもんだ」
「勘定書はいつでも即金でガチャガチャと支払ったもんだ。歯医者へ行くんだって約束日を延ばしたりなんかはせん」
と突然師父ブラウンのパイプが口からすり落ちて花崗岩《みかげいし》の廊下の上で三つに割れた。彼は阿呆の様に眼球をクルクル廻転させた。
「オー神よ、何として私は大根だったろう」
こう叫びながら彼は泥酔漢《でいすいかん》が故なく笑う様にワハワハと笑い出した。
「歯医者歯医者」彼はフランボーの言葉を繰返した。「アアわしは六時間も精神的に奈落の底に沈みおった。これと云うのも皆今の歯医者と云う事に気がつかないばっかりだった。
「オー何という簡単なそして美しい、そして平和にみちた考えじゃろう、諸君よ、わし等は一夜を地獄に過した。しかし今は太陽の輝き、小鳥はうたい、そうして歯医者の輝かしい姿が世界を慰撫していられるを見られい」
「アー、私にもその意味がわかるでしょうか、もし地獄の拷問を受ける気で辛抱強くその意味を考えると」とフランボーが大股に前方にのり出して叫んだ。
師父ブラウンは今やわずかに日の輝いた芝生の上に踊り出《で》したい歓びを押えかねる様な顔付をした。彼は気の毒そうに子供の様に叫んだ。
「オーわしは何となしに嬉しくなって来る。だが今までわしがどのくらい苦るしんだか、あなたがたに見せてやりたいくらいだ。しかし今わしはこの事件には深い犯罪というたようなものが全然ない事を知る事が出来た。だが少し気狂《きちが》いじみたものがあるばかりじゃ」
こういいながら彼はもう一度大きく廻って、二人の相手の方に勿体らしく顔を向けた。
「諸君この事件は何も犯罪の物語りではないので」と彼が始めた。「これはむしろ正直の物語というべきである。吾々はこの地上に於ける自分の分前《わけまえ》以上のものを決して取らんところの一個の人間を論ずるのじゃ。だからこの種の宗教族であるところの野蛮な生きた論理の研究でありますぞ。[#「。」は底本では欠落]
グレンジール家を諷して歌った。『生木にゃ青い血、オージルビーにゃ金の血』という名高い鄙歌《ひか》はあれは修辞的の意味ばかりでなく文字通りの意味があるのじゃ。すなわち、グレンジール家は単に富を集めたばかりでは無く文字通りに黄金を集めたものでじゃ」
「彼等は黄金製の装飾品や器具を山のように集めたんじゃ。彼等は実にけちん棒でその果は狂人のようになったんじゃ。わし等が城内で発見した、あらゆるものをこの事実に照らしてみる事が出来るんじゃ。それはダイヤモンドの指輪があっても金の指輪がない。
「※[#「鼻+(嗅−口)」、第4水準2−94−73]煙草はあれども、金の煙草入がない。散歩杖はあるけど金の頭飾りがない。ぜんまいや歯車はあるが金側《きんがわ》時計がない。そしてこれは全く気狂いのような話しじゃが、あの古い弥撤《みさ》書にある基督《キリスト》像の後光や神の御名《おんな》でさえも、やはりあれが純金であったものじゃによってこれもまた抜き取られ
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