なりうるが、この書物をこんな具合に瑕物《きずもの》にしておった理由はただ一つしかない。これ等の宗教画がこの通り汚され、引裂かれ、落書《らくがき》さえされてあるのは、子供の悪戯や新教徒の頑迷からした仕事ではない。これはすこぶる念入りにやった仕事です。またすこぶる不可能なやり方です。神の御名《みな》を金文字で大きく書いてある部分は残らず叮嚀に切取ってある。その外《ほか》にこの手をくっている箇所は嬰児|基督《キリスト》の御頭《みあたま》を飾る御光《ごこう》である。じゃによってわし等はこれから直ちに令状と鋤と手斧をたずさえて山へ登った上、棺《かん》を発掘しようかとこう云うんです」
「ハア、とおっしゃると、どういう意味ですか」倫敦《ロンドン》の探偵がたたみかけるように訊いた。
「と云う意味は」と小さい坊さんの答える声は嵐の咆《ほ》え狂う中にもちょっと大きくなったかと思われた。「と云う意味は宇宙の巨大なる悪魔が、今この瞬間、この城の大塔の頂上に、百の衆を集めた様にふくれ、黙示録のそれのように咆哮しつつ[#底本では「つ」が重複]あろうやもしれないというんです。この切抜事件の底にはどこやらに悪魔の魔法が潜みいると見える。とにかく秘密の鍵を開くべき一番の近道は山へ登って墓をあばくのが一番だと想いますじゃ」

        二

 二人の相手は庭に出て、猛烈な夜嵐におそわれ、頭を吹飛ばされそうになるまでは、いつの間に師父ブラウンの後についてきたのか自分でさえ気がつかないくらいであった。それにも拘《かかわ》らず彼らは自動機械のように坊さんの後《うしろ》について来たのであった。なぜならばクレーヴン探偵は自分の片手にチャンと手斧をつかんでいるのを見るし、ポケットの中には令状もはいっていた[#「いた」は底本では「居《ゐ》つた」]からだ。フランボーも疑問の人物ゴーの重い鋤を借り出して持っていたからだ。ブラウンは問題の小型の金製《きんせい》の本をしっかと携えていた。山上の墓地に達する路は曲りくねってはいるが、遠くではない。ただ向い風が身体《からだ》にあたるので骨のおれる気がした。見渡す限り、そして上の方へ登れば登るほど、松林の海で、それも今風をうけて見渡すかぎり一様に横様《よこざま》になびいている。その一列一体の姿勢には、それが渺茫《びょうぼう》としているだけに何やら空々たる趣きがあった。ちょうど疾風がどこかの人類の棲息しない目的もない遊星をめぐって咆哮でもしている様に空々たる趣きがあった。彼等は山の草深い頂上に来た。松林は頂上までは続いていないので、そこはさながら禿頭のように見えた。材木と針金とで作った粗末な外柵《そとさく》は、これが墓地の境界だと一行《いっこう》に物語る様に嵐の中にピュウピュウと鳴っていた。しかしこの時既にクレーヴン探偵は墓の一角に立ち、フランボウは鋤の尖《さき》を地中に突き立てて倚《よ》り掛っていたが二人共に、その材木や針金並びに嵐の中にフラフラと揺れて見えた。
 墓の下方には丈の高い薄気味の悪い薊《あざみ》が枯々とした銀灰色を呈しながらむらがっていた。一度ならず、二度ならず、嵐にあおられた薊の種子がブウと音を立てながらクレーヴン探偵の体を掠《かす》めて弾け飛んだが、そのたびごとに探偵は想わずそれをよける様な腰付《こしつき》になりながらピョコリと飛上っていた。
 フランボーはざわめく叢《くさむら》の上から鋤の刃をしめっぽい粘土の中へザックリと刺込んだが、思わずその手を引いて棒杭《ぼうぐい》にでもよりかかるようにその柄によりかかった。
「どんどん関《かま》わずやりなさい」と坊さんが落着いた声で云った。「わし等はただ真理を発見しようとして試みるだけじゃ、何を恐れる事があるんじゃ」
「いやその真理の発見が実は少々、むずかしい」とフランボーが苦笑いをしながら相槌をうった。クレーヴン探偵は突然赤ん坊の歓ぶような大きな声、話声《はなしごえ》と歓声とを一しょにしたような声でこういった。
「実際何だって彼はこんな風に身体《からだ》をかくそうとしたもんだろう、何か恐ろしい事でもあるんかしら。あの男は癩病患者ででもあったのでしょうか」
「いやそれにしんにゅう[#「しんにゅう」に傍点]をかけたようなものさ」とフランボーが云った。
「へえそれにしんにゅう[#「しんにゅう」に傍点]をかけたものというと、はあて」
「なに実は私にも見当がつかないんだ」
 かくてフランボーはだんまりのまま惧《おそ》る惧る何分かの間掘りつづけたが、やがて覚束なげな声でこういった。
「やれやれ死体の原形がくずれていない事を神に祈る」
「それはな、あなたこの紙面だとて同じことじゃ。この紙面を見てもわし等は気絶もせんでとにかく生延びては来たもんな」師父ブラウンが静かにまた悲しそうにこう云っ
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