しいが、この瀬川の話なども、延享から宝暦へかけての、江戸時代でも一番退屈であった盛りの時に、欠伸除《あくびよ》けに造られたものらしい。
「翁草」にこの瀬川の仇討を、通信文で尤《もっと》もらしく書いているが、この文の出所というものが全然不明で調べるによしが無い。と云ってこの外に記録は無いから、※[#「※」は「ごんべん」に「虚」、第4水準2-88-74、371-3]《うそ》ともいえぬが、本当とも云えぬ。後段の、
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「江戸なる哉《かな》、江戸なる哉、天明三年吉原松葉屋今の瀬川を千五百両にて身請せし大尽あり、諸侯の類《たぐい》かと聞くに不然《しからず》、尋常の町家なりとぞ」
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位は信じられるが、とにかく※[#「※」は「ごんべん」に「虚」、第4水準2-88-74、371-7]八百の瓦版が出たり、役所の報告に出鱈目を云ってきたりした時分だから、
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「年々色をかえ品をかえたる流言の妄説《うそばなし》、懲《こり》も無く毎年|化《ばか》されて、一盃ずつうまうまと喰わさるる衆中」
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という風で、※[#「※」は
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