とした。寛永十一年十一月五日の事である、諸説あるが、馬子の口から洩れたというのが本当だろう。又五郎から馬三頭を六日の夜明けぬうちに廻せという註文がきたというのである。待っていた機会がいよいよ来た訳である。見張を出して川合方の様子を見せると、立ちそうだという。四人は支度を整えて一行の跡をつける事にした。鎖帷子《くさりかたびら》と鎖入鉢巻の用意をして、七八町のあとから見えがくれに後を追って行く。
武士の意地で殺し、意地から匿《かくま》い、意地で来た助太刀である。いつでも対手になってやるという覚悟で、勿論鎖帷子、白昼堂々と槍を立てて又五郎は行く。三人に槍三本、鉄砲一挺、半弓一張とちゃんと格式を守って大手を振っているのである。若党、小姓、足軽、人足合せて二十人、奈良|般若寺《はんにゃじ》口から坂道を登り木津から、笠置を経て、笠置街道を進む。六日の午後の二時に島ヶ原へ入った。日足の早い冬、次の駅まで行くのは危険である。敵をもつ身はただの旅人にも増して早立ち早泊りが必要である。それで松屋という宿へ泊る事となった。それを見届けて、松屋より二三町先の方、馬借《ましゃく》勘兵衛《かんべえ》の家《うち》
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